インドの、哲学で、ある、ウパなんとか、で、歓喜は、五つの鞘の、1つである、と、
考えてみる。
まあ、鞘と、ゆうのは、存在と、結び付くので、共有出来る、ものの、中で、もっとも、中心に、近いもの、と、ゆう、位置付けだろう。
日本の、古神道系=太古の神々が、神懸かりして、語る の、中の1つに、天理が、あって、それに、よると、その神は、人間を、造った神 と、主張している。
紋型ない、ところ=宇宙 を、味気ない と、思し召されて、方々から、道具雛型を、集めて来て、それぞれ、役割を、決めて、その中核=種 に、ドジョウ を、使う=これが、龍とか、蛇とかの、こと? だが、蛇には、ドジョウの、ような、髭が、ないので、たぶん、龍?
そして、人間の型を、造った=女型、男型 と、造り、それを、イザナギ、イザナミ?だったか?
そして、女型は、ぬくみ、おもたりの命、男型は、すいき、国常立の命? が、守護する・・・と、段々、うろ覚えに、なって、来てるので、興味が、あれば、調べると、よい。
ここで、天理の、神は、元の因縁 と、ゆうのを、ゆうのだが、それが、インドの、ウパなんとか、の、歓喜に、相当する、のでは、ないか? と、思う。
この世の、存在の、原点が、元の因縁=歓喜 で、ある。
歓喜とは、大楽、悟り、愛、法悦 など、様々に、云われるが、同じもの、と、思う。
・・・存在の原点、それは、互いを認識する原点=男が女を、陰が陽を、認識する、のが、歓喜?
・・・二つで、一つの、不二一元 と、ゆうやつで、互いが、互いを、必要と、する=歓喜に、戻れなくなる?