明晰夢見=サマディ?に入ると、独自の修行、独自の理 が、出来る、と、考えてみる。


夢見は、見た目は、現実のようでは、あるが、その解釈、理(ことわり) は、現実とは、違い、独自に、設定出来る・・・と、ゆうのが、あるのかも、しれない。


現実では、肉体で、最初から、設定が、固定されていて、物理法則と、ゆう、理(ことわり) に、支配されているが、夢見道では、その、身体=肉体の代わり から、独自に、作っていくので、それぞれ、独自の理(ことわり) も、出来る・・・と、なる。


たとえば、物質的、宇宙を、原初の状態から、独自に、作る ような、もの。


この、原初の状態を、悟り、愛、神 などと、呼び、また、それは、神懸かり、三密加持 などの、状態とも、同じなのかも、しれないが、出来上がった、理(ことわり) を、一度、原初の状態 に、戻し、また、一から、作る、と、ゆうような、事で、ある。


その為、現実の、物理法則では、説明出来ない、現象も、起こるかも、しれない、が、独自の、明晰夢見=サマディ? では、ちゃんと、理 (ことわり) が、あり、つじつまが、合う、と、ゆう、事になる=この 理 (ことわり) は、作った、本人だけが、理解している?


だから、明晰夢見=サマディ? には、二段階あり、既に、独自の、理(ことわり) が、出来ている、明晰夢見の、理(ことわり) を、理解していく段階 と、一度、原初の状態 に、戻し、新たな、理(ことわり) を、一から、作っていく、段階 が、ある・・・と、なる?


・・・理(ことわり) を、プログラム と、言い換えると、最初は、プログラムを、解析する、みたいな、感じで、次は、プログラムを、一から作る、と、ゆう、感じか。


・・・まあ、極論で、いけば、悟りの状態、愛の状態、神懸かり、三密加持 の、状態 に、なると、生まれ変わる=まあ、大概は、また、前と同じような、理(ことわり) を、作って、しまう、のかも、しれないが・・・カルマ? とか、業? と、ゆう、もの。