感覚が、ある、とゆう、認識を、不思議に思う、と、考えてみる。
感覚が、量子=波であり、粒子でもある に、よって、起こるのなら、意識と、関係してくる。
たとえば、波=波動 は、物質を、通過する、が、粒子は、通過出来ず、衝突する。
量子が、波であり、粒子でも、あるなら、ある時は、通過し、ある時は、衝突する。
何とかの、二重スリット、の、実験に、よって、本来は、波の性質を、示す、光子が、意識を、集中した、3秒後に、波と、異なる、性質を、示した?
仏教の中でも=特に密教、意識と、感覚=五感 は、空性=空相 を、持つ と、される
まあ、この、空性と、ゆうのは、もともとの、仏教では、なく、後から、出て来た=密教は、元からの仏教の発展系? の、ような、気がする。
純粋な意識、特に、第四の意識状態では、決して実体では、無い、意識が、感覚=感覚の元は量子と仮定 に、影響する と、ゆう事を、把握する=空性の把握。
簡単に、ゆうと、映画館には、スクリーンと、ゆう、実体が、ある。
そこには、実体のない、映像が、写し出されている。
見ている、観客は、スクリーンを、みても、感動しない=何の感覚も変化しない が、実体のない、映像が、写し出されると、個々の感覚が、変化する=感動したり、ハラハラしたり、する。
・・・感覚は、実体だが、その感覚を、変化させるのは、実体のない=空 の、意識? みたいな、事。