乾電池を、視ただけでは、その、残量=電気量 は、把握出来ない、と、考えてみる。


乾電池の残量は、徳分 と、考えてみる。


自分の存在は、徳分 が、あるから、と、ゆう事であり、徳分が、無くなれば、非存在=空 と、なる。


だから、空性の把握 とは、自分の徳分 が、どれ程なのか? と、ゆうのを、把握する、と、ゆう事なのかも、しれない。


たとえば、誰しも、叶えたい 夢 が、あり、目標が、ある。


その、夢 なり、目標 が、叶うのも、徳分 の、ある、なし、に、よって、決まる、と、仮定する。


自分自身の、置かれた状況も、徳分によって、決まる。


なに事も、思い通りに、行かないのは、徳分が、増えたり、減ったり と、ゆうことが、あるから。


悟り=満タン、空=カラ と、ゆう、状態で、自分自身の、器を、知る?


また、空=カラ とは、肉体から、離れた、意識=物質に影響を、与えない、エネルギーが、ない状態 でも、ある。


身体=肉体 を、動かすのも、徳分に、よって、動く。


肉体の、五感が、感じるのも、徳分 に、よって、生じる。


エネルギーを、感じるのも、自分自身が、エネルギーを、徳分 と、して、持っているから=存在しているから


だから、悟り=満タン に、至るには、エネルギーを、貯めていけば、悟る。


空 に、なるなら、エネルギーを、使い切る=尽くす とも、言う。


まあ、器も、狭量と、ゆうのも、あるから、人それぞれ。


大器晩成 と、なれば、悟れるのは、生涯を、費やすかも、しれない。


神=愛=無限のエネルギー と、すれば、神との合一 が、悟り=満タン の、状態 と、ゆうのも、分かる?


と、また、悟り=愛 と、なったりして。


・・・大欲は、無欲に似たり? と、ゆう言葉も、あるが、悟る事は、大きな欲が、ないと、出来ない=エネルギーを、貯める が、神との合一 は、無欲 で、ないと、出来ない?


・・・我を張る=欲がある。


・・・我を捨てる=無欲になる。


・・・神は、エネルギー 


・・・合一とは?