存在 と、非存在の、両方に、自我=意識 が、ある、と、考えてみる。
存在の、反対と、して、空=非存在 が、ある。
それは、こうゆう事だと、思う。
たとえば、自我=意識 が、フィルムの、ような、ものだと、する・・・。
そして、そのフィルムを、映写する、スクリーンが、沢山に、ある。
存在とは、スクリーンの事で、ある。
そして、非存在=空=自我=意識 は、フィルムの事で、ある。
フィルムが、スクリーンに、映写された、時、フィルム=意識=自我 は、スクリーンと、一体と、なり、存在と、ゆう、体験を、する。
映写が、終わると、フィルムは、スクリーンから、離れて、非存在=空 と、なる。
そして、また、映写が、始まり、スクリーンに、写ると、フィルム=意識=自我 は、存在と、なる。
フィルム=意識=自我 は、存在と、非存在 を、行き来する。
だから、受想行識 と、五感と、五感の対象物 は、空相 で、あるとは、存在と、非存在 とを、行き来する、と、ゆうような意味でも、ある。
色即是空、空即是色 は、存在で、あるけど、非存在でも、ある、と、ゆう事・・・だ?
幽体離脱 で、言えば、肉体が、スクリーン で、意識がフィルム、意識が、肉体と、同一で、あれば、存在。
肉体から、意識が、離れれば、非存在。
と、なる。
自分が、存在している、と、ゆうのは、自分は、スクリーンで、ある、と、ゆうのと、同じ。
でも、自分は、フィルムなので、非存在=存在していない=空
・・・自己=存在 は、スクリーン で、自我=意識 は、フィルム で、自己と自我が、一致している時は、存在・・・不一致 と、なれば、非存在 と、なる。
・・・まあ、肉体が、ある、内は、自分は、存在しない、と、思っても、存在する?