肉体を、失ったら、全て無に帰す、と、ゆうのは、肉体人間 と、考えてみる。
肉体人間は、幽体離脱も、脳が見せる、幻の、ように、解釈している・・・と、思う。
だけれども、少し、視点を、拡げれば、肉体とは、物質の、塊で、ある。
物質は、様々に、形を、変え、時に、植物や、動物と、ゆう、生物の、形を、成す。
たとえば、映画なら、スクリーンが、物質、そして、写し出された、映像が、植物や、動物 で、ある、と、考えてみる。
そして、映画には、フィルム と、ゆうものが、あり、それが、ないと、スクリーンは、真っ白な、ままで、ある。
では、スクリーン と、フィルムは、同じもの、なのだろうか?
フィルムは、フィルムで、あり、スクリーンでは、ない。
スクリーンから、消えても、フィルムは、残る=死後、肉体は、物質に、戻るが、フィルム的な、何かは、残る。
この、何か? が、自我=意識、とも、考えられる。
言い方を、変えれば、生まれるとは、物質=スクリーン に、意識=フィルム が、写る、と、ゆうような、事なのかも、しれない。
・・・映画は、スクリーンに、写る事で、共有出来る=現実になる。
・・・フィルムのままでは、幻=実体のない 空
・・・と、ゆう事か?