意生身を、意識と、気=エネルギー から、造り出した、身体 と、すれば、その、身体から、エネルギー が、無い状態 に、なれば、意識の身体、意識体と、なる、と、考えてみる。
エネルギーの無い、無気力な、状態、煩悩の、炎が、完全に、燃え尽きて、鎮火した、状態。
望みが絶たれて絶望した、状態、心が、閉ざされた状態 など、この世 との、縁=縁は、心の、芯からの、気の流れに、よって、生じる?=縁起? が、絶たれた、状態 の、時に、意識体、と、なる。
自分自身が、無くなる=意識が、無くなる=気を失う では、なく、自分自身の、存在感が、無くなる から、誰にも認識される事は、ないが、意識だけは、ある、状態。
これを、真我の顕現、と、考えてみる。
誰にも認識されないから、誰にも影響されない、絶対の自由 な、状態=空 の状態。
この世、的は、顕現には、エネルギー=気 が、無くては、ならない、から、エネルギー=自己=自己の存在感 が、在る、限り、空の状態 には、ならない=意識体にならない=真我が、顕現しない。
シュレデンガーの猫 で、あれば、量子の重なっている状態=観測された、時に、固定化されるが、観測される前の状態。
一点集中の、極で、光明が、出現して、身体の感覚が、無くなるが、意識は、クリアに、なる=夢見で、意識が、ぼやけるのは、この状態に、至っていないから?
・・・種の状態、エネルギーを、注がれて、何に成るのかが分かる=顕現する。
・・・悟りの状態、が、説明するのが、難しいように、空 の状態 も、また、説明するのが、難しい が、光明が、出現して、空 が、間の辺りになって、意識だけの状態=意識体=クリアな意識 に、なったなら、夢見のぼやけが、なくなる?
・・・?