肉体は、神の宮 と、考えるのが、古神道系?と、すると、神の座とは、どこ? と、考えてみる。
仏教では、凡夫 と、凡天 の、合一 を と、ゆう事が、あるが、肉体に、関する言葉で、神は胸に、住み、悪魔は、頭に、住む、と、ゆうのが、あった・・・ような、なかった・・・ような?
神の座=自己の座 は、胸 で、悪魔の座=自我、実体がない、空である、意味で は、頭。
凡天 が、胸=凡天は神 で、凡夫 が、頭=凡夫は悪魔?空である、と、ゆう意味
で、あるなら、心理学 で、ゆうところ、の、自己認識と、自我意識 が、一致する と、ゆうのを、古神道系も、言っていたかも、しれない。
想い通り では なく、心通り、を、想い=頭=自我=自意識=悪魔の座 では、なく、心通り=胸=自己=神の座 で、ある。
神の座から、情=気の流れ が、生じる=神の座は、核融合の場所で、何もないところから、エネルギーが、生じる と、核融合では、エネルギーと、物質が、生じるので、熱は、上に、物質=物質化の前段階=エクトプラズム? は、下にでも、向かうのだろうか?
そして、上に向かう熱に、よって、意識=自我 が、生起する・・・死の定義に、脳死 と、ゆうのが、あるのも、この為で、意識=自我 は、肉体から、離れる事も、ある・・・!
肉体は、胸の、神に、よって、生かされて、いるので、意識=自我 が、肉体を、離れても、死なない?
・・・下に向かった、エクトプラズム=半霊物質 は、どこか、下に溜まった、状態にある・・・多分、下の方のチャクラ で、生起した、意識から、エネルギーが、流れてくるのを、待つ・・・と、は、何の事だろう?