また、勝手に、定義で、あるが、これが、ないと、理解が、進まない、場合も、ある、と、考えてみる。
自分を、自己 とか、自我 とか、言うけども、たとえば、自己を、自分の存在 自我を、自分の考え と、仮定してみる。
すると、自己主張とは、自分の存在を、主張している、と、ゆう、事に、なる。
たとえば、自我の事を、エゴ と、ゆうふうに、言う、場合も、あるけれど、それは、自己と、ゆう、存在を、無理矢理、自我=この場合は意識や、考え で、ねじ曲げて、しまう、と、ゆう意味なのかも、しれない。
変えがたい現実=自己の存在 を、自我が、ねじ曲げる=エゴ と、ゆうふうに、なる。
自己 と、自我は、必ずしも、一致しない。
自分を、客観的に、観る事で、自己と、自我の、ずれ、みたいな、ものを、修正する?
自己=存在=神=愛=気=エネルギー と、ゆうふうに、捉える時に、全てはエネルギー、全ての存在は、エネルギー、あるいは、エネルギーの、投影、と、ゆうふうに、なる。
全ては、色形は、無いが、存在と、ゆう、意味で、在る 神=エネルギー。
または、エネルギーの、流れ=これも、色形が、無いので、事象、現象を、観て、捉える=全ては、投影 と、なる。
元々、自己の投影とは、夢見の、分析の、時に、自己=エネルギー=気の流れ=感情 と、ゆうものが、夢見の、事象に、投影される、と、ゆうもの、だった・・・気がする。
また、想い通り=考え、自我 では、なく、心通り=感情=エネルギーの流れ=神 の、通り と、ゆうのも、そんな、ところから、来ている。
エネルギーと、ゆう、概念は、近代科学から、だから、それまでは、気とか、プラーナ だと、か、違う呼び名 だったのかも、しれない。
意識=自我=実体の無いもの=色形は有るが実体の無いもの=空=真我
エネルギー=本当の自己=神、真我=意識+無意識 が、一致する、時に、真我=神+真我 で、神人か?
・・・今は、少し、理解が、進んで、意識と、エネルギーの、相関々係が、量子物理学と、して、発展して来ている・・・のかも、しれない。