自己と、自我は、違うもの、と、考えてみる。

たとえば、自分の、存在感、場と、ゆうものが、あった、と、して、それを、認識する事が、自己認識・・・だった、と、する。

自己認識=自分の、存在感 の認識=自分の、場、影響力の認識 で、ある。

それに、対して、自我とは、自分の意識、で、あり、存在感が、無くても、自分で、ある、と、ゆうのは、ある=人から、認識されない=存在感がない でも、自分とゆう意識が、ある。

だから、自我は自己 と、一致するとき、が、もっとも、働きが、良い?

自我とか、真我と、言う時、存在感が無い=空 と、ゆうのは、自分は有るが、存在感は、無い、と、ゆうのは、それで、ある。

それに、対して、自己とは、自分と、ゆう、意識が、なくても、存在する=無為自然=無意識でも、場と、して、影響力が、ある。

つまり、自然とは、自然が、自分とゆう、意識=自我 が、なくても、影響力が、ある・・・と、ゆう?

たとえば、自我には、自分は、女性と、ゆう、意識は、ないのだが、何故か、男性が、よって来る、と、ゆうとき、存在と、しての、自己は、女性で、あり、自己認識 と、自我=自我意識の、不一致 に、なる。

自己認識と、自我意識を、一致させる事で、幸せに、なる・・・?。

・・・心理学の、自己の投影とは、自我意識が、自己と、自我の不一致に、苦しむ、時に、その、苦しみを、和らげる為の、手法?

・・・まあ、自己は、存在するが、自我は、存在しない、有るけど、無い、と、なれば、相手に認識されなくて、当たり前 だから、自己否定が、無くなるのかも、しれない=幸せには、ならないが、自己と、自我の不一致に、よる、苦しみは、無くなる・・・かも?