霊が主で、体=物質 が、従 と、考えてみる。

これは、霊が、マザーコンピュータ で、体=物質 が、端末 の、ような、関係なのかも、しれない。

体=物質 を、我とする、自我は、マザーコンピュータ と、端末の、間を、行き来 して、情報の、やり取りを、しているのかも、しれない。

たとえば、夢見とは、意識=自我 が、端末を、離れて、マザーコンピュータ=霊 の、ところに、戻っている、状態。

そして、また、端末に、戻って来る と、端末では、マザーコンピュータ=霊 とは、性能の差 が、あるために、体に、必要な情報だけが、記憶=夢見の記憶 と、して、残り、その他の、膨大な、情報は、クリアライト=丹光? の、中に納める?

夢見から、醒めた、直後に、は、丹光が、鮮やかに見えるが、やがて、暗くなって、見えなくなると、それは、感情=内部の感覚 と、して、認識される。

だから、夢見の記憶を、思い出すには、感情が、丹光と、なり、さらに、体験=霊のレベルでは、記憶とゆうのは、意味を、持たない? に、なる?

・・・ある種の、感情が、もたらされた時に、過去の出来事を、追体験した、ような、状態に、なるのを、フラッシュバック? か・・・が、あるが、夢見の記憶は、そんな、感じで、思い出される事が、ある=物質の体 の記憶でない、事も、ある=既視感、とか、予知夢とか、シンクロとか?