感情が、六番目の感覚として、認識出来るのも、身体が、有っての事と、考えてみる。

五感と、六感とは、感覚器官があり、その、対象物が、あって、分類される=舌と、味、耳と、音、など

六番目の感覚は、身体が、あって、その、内部の情=気の流れ を、感覚として、認識する=感情。

七番目の感覚は、身体が、あって、その、外部の情=気の流れ を、感覚として、認識する=感情だが、内部と、外部の違いが、あり、小周天と、大周天みたいな、感じなのかも、しれない。

内と外の違いはあるが、フラクタクル構造なので、認識出来る?

夢見においても、身体が有る、のと、無いのとでは、有る方が、認識が上なのかも、しれない=現実と、シンクロする、率が、上がる?=シンクロとは、夢と現実との、奇妙な意味ある偶然の一致が、起きてくる?

身体があり、感情=六番目の感覚 が、伴う夢見は、より、シンクロする?

・・・それと、六番目の感覚=身体内部の気の流れ と、七番目の感覚=身体外部の気の流れ の違いも、身体とゆう、基準があれば、判別しやすいのかも、しれない=夢見では、先ず、意生身を、造る。