大体は、意識と、無意識だ、とは、分かるが、そこんとこ、詳しく、と、考えてみる。

たとえば、呼吸を、考えてみれば、分かる。

通常、呼吸は、ほぼ、無意識に、している。

吸ったり吐いたりを、意識する事は、ない。

だが、意識して、吸ったり吐いたりも、出来る、また、意識すれば、途中で、止めたりも、出来る。

しかし、無意識に、呼吸を、止めている、時も、ある。

何かに気をとられて、呼吸を、忘れる。

およそ、意識と、無意識 の、関係とは、そんな感じ。

無意識に、意識が、干渉するけれど、無意識も、実は、意識に、干渉してくる。

呼吸を、創造 と、置き換えても、同じ事。

通常は、ほぼ、無意識に、創造している。

造ったり、破壊したり。

しかし、意識して、創造したり、破壊したり、も、出来る。また、止める事も、出来る。

しかし、無意識に、創造を、止めている時も、ある。

何かに気をとられて、創造するのを、忘れる。

と、ゆうような、具合だ。

まあ、意識が、ある内は、意識的でも、無意識的でも、呼吸も、創造も、無くす事は出来ない=無意識とは、意識作用を、認識していない と、ゆう事?

意識するとは、意識作用を、認識している、と、ゆう事。

・・・夢見 と、現実も、意識と、無意識 は、作用している、と、ゆうのは、フラクタル構造。

・・・夢見は、より、短時間に、結果が、出るので、意識が、作用する事を認識しやすい。

・・・夢見の記憶が、残らないと、ゆうのが、あるけど、現実でも、興味のない事とかは、記憶に、残らないので、意識の、集中の度合いが、低いから。

・・・本当に記憶しないと、いけない夢は、目覚める時に、劇的な、内容の展開に、なって、勝手に=つまり、無意識的に 記憶に、残る・・・?

・・・現実で、意識の作用を、認識する事を、訓練すれば=無意識的は事を意識的にする訓練 夢見の記憶も、残りやすく、なるのかも、しれない・・・?