形が有るけど存在が無い、存在が在るけど、かたちが無い、これを、混同すると、無い無い、何もない、と、なって、しまう、と、考えてみる。

認識する、と、ゆうのにも、二種類ある。

存在を、認識すると、ゆう事と、形を、認識する、と、ゆう事。

だから、認識=一種類 と、して、しまうのは、誤り。

だから、在る と、有る、無い と 空(くう) と、ゆうように、使い分ける。

たとえば、縁と、ゆうものが、ある。

これを、縁起と、言い換えてもいい。

日本語だと、縁を、縁=円 と、ゆうように、言い換えても、意味が、同じように、使える。

つまり、円の縁 縁側 の、意味に、なる。

たとえば、縁とは、この世との縁、物質との縁、と、ゆうとらえ方だと、今、自分の周りに在るもの、人物などは、自分と、縁のあるもの、だから、存在する。

引き寄せなどとも、ゆうが、好むと、好まざるとに、関わらず、引き寄せられて、来た、しかし、引き寄せと、ゆうより、引かれ合う、と、ゆうのが、正解だと、思うが=縁は、一方的なものではない。

この、引かれ合うと、ゆうのを、シンクロするとか、波長が合う と、ゆうので、説明している=空(くう) だけど、波長が合うと、互いに、認識するので、在る、に、なる?

パーソナルリアリティー から、リアルに、なる=個の認識 から、共通認識になる?

パソコンだと、ネットに、接続してない状態から、接続した状態に、なる。

この接続すると、ゆうのが、縁がある、と、言い換えてもいいかも、しれない。

さて、縁と言えば、縁起で、あるが、個人的な、印象と、しては、縁起とゆう言葉から、縁が起こる、繋がりが、出来る、と、ゆう、印象を、もつ。

仏教には、十二縁起 などと、ゆう、言葉が、あるが、それは、縁が、起こるには、十二種類の、原
因が、あると、ゆう事なのか?、それとも、十二段の、段階を、経て、この世や、物質との、縁が出来ると、説明しているのかは、定かでない。

十二種類と、言うときは、ネットに、接続するための、十二種類の方法 と、なるし、十二段階と、言うときは、ネットに、接続するには、十二段階の手順を、経て、繋がる、と、なる。

・・・縁と、ゆうのが、引き寄せ=引かれ合う と、ゆう事なので、ここにも、気の流れの、ような、ものが、関係する・・・と、思う。

・・・気の流れは、無形なので、形としては、認識出来ないが、確かに在る・・・と、思う。