物質化は、日常的に、起きているが、意識していないので、認識出来ない、と、考えてみる。

たとえば、物の、大きさや、美醜 などの、認識は、人、それぞれで、あり、同じでは、ない。

ある人に、とっては、大きさものが、別のある人にとっては、小さく、ある人にとっては、美しいものが、別のある人にとっては、醜い、と、ゆう事が、ある、と、ゆう事。

これは、たとえば、大きさや、美醜、だけでなく、個数や、文字、食べ物の賞味期限にも、及ぶ=認識が、違うのだが、同じものだと、思い込んでいるので、物質化と、ゆう現象も、ある、ないと、ゆうのは、単なる思い込みの、違いで、それは、常時、起こっている?

極端に、言えば、食べ物に、山ほど、囲まれていた、と、しても、その、食べ物が、喉に、引っ掛かり、通らない場合には、飢餓になる、と、ゆう風に、なる。

また、それらを、食べ物と、認識、しなければ、食べ物が、無い、と、精神的に、飢餓になる=餓えていないのに、食べなければ、と、ゆう、思いに、なり、餓えを感じる?

と、ゆうのが、理解出来てくる=自覚する と、認識が、変わる? ので、今まで、意識出来ていなかった、物質化が、意識出来てくる・・・のかも、しれない。

・・・認識する事で、それらは、固定化され、より、現実=共通認識に、近づくので、たとえば、幽霊でも、多数の、人々に、同時に目撃されれば、物質化する?

・・・認識の波長が、揃えば、物質化する?など、いろいろと、考えられる、のかも、しれない・・・。