原初の境地=愛の境地=悟りの境地 と、した場合、もっと、大きな、意味が、出て来る、と、考えてみる。

イエスが、説いた、愛と、釈迦の、説いた、悟りの境地は、実は、同じ、境地の、事を、指していて、原初の境地に、融合する、帰融、帰一 は、ヒンドゥー教、日本の、古神道系 が、説くの、だが、やはり、原初の境地=愛の境地=悟りの境地 で、同じ
もの、同じ境地で、あり、そして、その、秘密が、物質化 で、ある、のかも、しれない。

何故、それが、解るのか、と、ゆうと、元の神、原初の神=原初の境地 は、紋型ない、ところから、この世を、創り出した=主に物質 のだから、その、方法を、知ってるので、あり、イエスは、その方法を、使って、水をワインに、パンを、増やしたりした、のでは、ないか?

世界的には、釈迦と、イエスでは、釈迦が、上と、ゆう事に、なっているが、釈迦が、物質化 を、使用した、と、ゆう、話は、聞かないから、現世利益と、ゆうところでは、イエスが、上である・・・と、思う。

物質化が、当たり前と、なれば、今の、貨幣経済、ひいては、それを、用いる支配、そのものが、瓦解する・・・かも、しれない、ので、その、秘密が、世に出る、とは、そうゆう事=この世の終わり=この世の支配構造の終わり と、ゆう、事でも、ある・・・か?

釈迦と、イエスと、インドのヒンドゥー、日本の古神道、が、同じところ、同じ教え、そして、それは、物質化=原初の神のみが、知る秘密 で、それは、この世の、支配構造の終わりを、もたらす、と、ゆうのが、世の立てかえ、立て直し、と、ゆう事。

・・・大災厄とか、大地震とかは、人間が=特に支配層 が、言ったり、自作自演、認知戦に、使っているのであり、人間の、生みの親、親神から、すれば、そんな、つもりは、毛頭なく、はやく、悪神=世の支配層 の、騙しの手口から、脱出して、元の教え=原初=愛=悟り に、立ち帰り、秘密=物質化の方法 を、受け取るように、と、言っている・・・気がする。

・・・この世の、幸不幸は、物質のある、無しで、大体、決まるし、心中は、原初、愛、悟り で、大歓喜 なのだから、嬉し嬉し、楽し楽しの世、地上天国、ミロクの世、と、なる・・・。