神懸かりとは、基本的に、エネルギー体同士の、融合である、と、考えてみる。

たとえば、肉体と、肉体は、融合は、出来ないが、物質性は、あるが、半分、変幻自在の、エネルギー体と、エネルギー体では、融合する事が、あり得る。

ただ、余りにも、違い過ぎれば、融合が、上手くいかず、また、分裂したり、する。

密教に、おいての、加持祈祷なども、一時的に、仏などを、懸からして、その、能力なり、智恵などを、借りる、と、ゆうものなのかも、しれない。

この、場合も、一時的に、せよ、エネルギー体と、エネルギー体の、融合で、あるから、融合する相手と、同等の、エネルギーや、知性が、ないと、場合に、よっては、エネルギー体の、不調や、知性の異常=狂う? と、ゆう、状態にも、なる。

即身成仏は、入我我入 此なり だが、求められるのは、三密=身口意 の、仏との、一致=ただし、エネルギーの大きさは仏のが、ずっと大きい ので、身口意に、僅かでもずれが、あると、上手くいかない?

前提として、自分自身のエネルギーと、同等位の、神や霊体 もしくは、身口意が、完璧に一致=エネルギーが段違いでも、成功する条件。

エネルギーが、高くても、エネルギー体が、出来ていないと、懸かっている時の、意識や、記憶が、ない? エネルギー体が、出来ていれば、意識や、記憶を、共有して、まるで、自分自身そのもの、の、ように、なる=これは、自己インフレーションを、招くので、意識的に、そうならないように、しないと、いけない?

そうした事を、理解した上で、エネルギー体同士の、融合が、出来たなら、自分自身の進化を、加速度的に、早める事が、出来る=エネルギーの量的にも、知性の面でも。

・・・意識が、失くなって、融合するのは、何が懸かるか、分からないので、審神者が、いる、が、出来れば、自分のエネルギー体が、完成=意成身の成就 が、先なのかも、しれない?