トランプ大統領が、チャイナコロナに、感染と言うとき、最早、誰も、チャイナコロナからは、逃れられない、のでは?と、考えてみる。

何も持たない者なら、感染して、死ぬかもしれない、が、対して恐くは、ない者と、そうではない者に、分かれるが、権力、財力、又は、学がある=頭の良い者 ならば、たとえ、重症化率、死亡率が、低くても、後遺症も、あるかもしれない、と、思えば、恐怖はある。

コロナは、恐くない、と、ゆう、意見も、あるが、恐さは、人、各々に、違うのだから、各々が、自分の、恐怖解消に、動いた結果が、今の世界の、有り様なのではないだろうか・・・と、思う。

我思う、故に我在り、では、ないが、それら、各々が、どのように、恐怖し、それから、どのように、のがれようと、考え、その、考えの、結果、行動している、と、ゆう事。

まだ、チャイナコロナは、全て、解明された、訳では、なく、また、ワクチンが、必ず、良いと、ゆう訳でも、なく、上も下も、その、途中に、ある、と、思う。

なかなか、諦めの境地には、到達出来ないし、どれだけ、大丈夫と、言われても、だから、自分も、大丈夫、が、証明されても、いない・・・と、思う。

・・・時には、静観する、に、徹する、と、何もしないのが、一番楽だ、と、皮肉るかも、しれないが、まあ、人は、それぞれだから、中共や、ロシアでも、内心は、戦々恐々と、ゆう事も、ありえる?