肉体によって、造り出す、霊体と、似ているが、造り出すのではなく、出来てしまうものがある、と、考えてみる。


霊体 と、区別して、幽体 と、ゆう事にする。


そして、霊物質に対して、幽物質 とゆうものである。


たとえば、霊が、肉体を鏡のように観て、造り出すのは、霊体、だが、霊が、鏡を、本体と、間違えて、出来てしまうのが幽体、幽物質である、と、考えてみよう。


自分自身は、霊、霊体であって、肉体は、鏡のようなもの、とゆう、認識と、自分自身は、肉体であって、霊、霊体は、鏡、幻のようなもの である、とゆう、認識である。


これを、たとえば、前者を、霊主体従、後者を、体主霊従 とゆうのかもしれないが、どちらの波長に霊が意識を、合わせるかによって、造り出される、霊界が変わる=霊階層が変わる=前者は霊界、後者は幽界


さて、霊が、肉体を真ん中として、霊界、肉体を構成する物質界、そして、肉体を構成する物質界を主として、霊界を幻 と 見なす、幽界 がある、と、してみる。


すると、霊には、霊界=霊階層 を、造り出す、能力は、あるのだが、それは、あくまで、意識と、認識によって、であり、認識のしようによっては、非常に脆く儚い、幽界=地獄界に通じる とゆうような、世界をも、造り出す事が出来てしまう。


たとえば、自分には、その能力があっても、無いと、思い込む事によって、その能力が発揮出来ないようになる、と、ゆう具合に、霊は、肉体を超越した、霊界を、造り出す能力がある、にも、かかわらず、その、能力が、発揮出来ない、されない、とゆうようなもの。


霊は無い、霊能力などない、とゆうような、思い込み、が、霊能力の、発達を疎外する?


・・・さらに続く。