完全なるものから、不完全なものへ、と、考えてみる。

たとえば、登るためには、降りねばならない。


たとえば、足すためには、不足しないと、いけない。

たとえば、幸せになるためには、不幸せであらねば、ならない。


たとえは、天国を味わうためには、地獄を味あわねばならない。


と、ゆうように、完全なる神、愛 を知る 為には、不完全、愛の無い状態から、始めないとならない・・・と、なる。


この場合、完全なる状態 は、愛のある状態 なので、愛によって=愛とゆう状態によって 全ては、救われる、となる・・・のかもしれない。


何かが、不完全 に見えるのは、見る方の 視点が、不完全な場合もある=大体は、自分は正しく、相手が間違っている と 見る。


あるいは、それは、正しいのかもしれないが、それを、理論的に説明出来ていない=自分は説明したつもりでも、相手に伝わっていない。


この世も、霊界の一部、そして、その界層は、下から二番目、上から、下には、中々、偉い神々は、降りて来ないから、自称偉い神 は、さにわ しないといけない が、下から二番目の、常識だと、それすらも、難しい?


だから、上下に、拘わらず、さにわをするには、上も知り、下も知る、愛の状態もしり、愛の無い状態も知る とゆう事が、要求されて来る。


姿形の無い、無 で、無限の 神=愛の状態 が、姿形の有る、愛の無い状態 の、世界から、始めて、段々と、姿形の無い、無で、無限の愛の状態 へと、昇っていく?


・・・大河の一滴 とは、海の水が、蒸発して、雨となり、雨が集まって、川となり、川が集まって、大河となり、やがて、また、海に還る。 個々の魂は、雨粒の一つに過ぎず、やがては、大河に、海にと、還る・・・個々の姿形を纏った、不自由、不足、不幸 も、やかて、大河となり、自由、充足、幸せ が、約束されている・・・では、下から二番目の世界で、ため込んだ、地位や財産や名誉は、どうなるか、と、ゆうと、それ故に、下から二番目の世界に、縛りつけられる=やっかみ、妬み、嫉み、恨み、怨み、羨み を、惹き付ける?