ある人にとっての 天国 が、別のある人にとって、天国 とは、限らない と、考えてみる。


物質界では、誰しも、自分自身に、とっての、天国の実現、を、目指しているが、いざ、それを、実現してみれば、思ったほど、天国では、なかった・・。


そして、また、更なる、天国を目指す。


と、ゆうように、きりがないのである、とゆうのが、実相であろうと、思う。


想念の世界においては、自分自身の想い=想念 が、様々なものを生みだす=自分自身の身体、霊体、霊体を構成する霊物質、そして、その霊物質によって生み出された環境など。


そして、それらが似かよった、自分自身が、多数集まって、霊の界層が出来る?

たとえば、はっきりした夢を、みた、として、地獄のような 夢 と、天国のような 夢 を、短い感覚 で、みた、と、しよう。


自分自身を、内観しても、自分自身の、想念には、たいした、変化も、ないのに、何故だろう、と、なる


想念の世界 においては、はっきりした夢 が、必ずしも、自分自身の想念とは、限らない=特に、肉体を、待とっている場合には、肉体を介して、物質界にいる、別の想念 と、繋がっている=人の想念が造り出す世界を、見たり、体験したりする=夢であっても、それが起きる。


つまり、夢=自分自身の境地 ではなく、夢=自分自身の近くの人の想念が造り出す世界=境地 の場合がある。


だから、天国のような夢 をみた場合、近くに、天国の境地 を 持った人がいた、地獄のような夢 を みた場合、近くに、地獄の境地を持った人がいた と、ゆうような場合もある=人とは、物質的な肉体を持っている、とゆう意味だが、様々な、肉体を持たない霊が存在している、と、考えられるので、天国のような境地の霊、地獄のような境地の霊 も、含まれる?


・・・どのような、夢=想念の世界 も、それを、形づくる想念 が 存在して、それが、個人であるのか、集団であるのか、または、自分自身であるのか、などと、考えられるのかもしれない。


・・・時には、神霊クラスの存在が、やって来て、夢=想念の世界 を、見せたり、時には、地獄の存在が、地獄を天国のように見せたりする。


・・・想念の世界 は、物質の世界 とは、色々と違う・・・だろう=強い想念の存在は、自分自身の夢 を、別の存在 にも、自分自身の夢 と、想わせる=想いを共有する?