仮想通貨の、崩壊は、その価値を、誰も補償しないので、起きた、と、考えてみる。


実際の通貨 でも、誰も補償しない、と、なれば、崩壊する。


今のところ、それは、国や、会社、個人 等が、補償してくれる、とゆう、幻想によって、崩壊しないだけである、のかもしれない。

たとえば、法 を 作っても、誰も、守らない、法 を、守らなくても、誰も咎めない、となれば、法も、また、崩壊する=ヒャッハーな世界。


約束すれば、守る、政治家は、発言に、責任を持つ と、いった、前提 が、なければ、約束や、政治家の発言 には、なんの価値もない=崩壊 になり、やがて、それは、顕著に、現れて来る・・・だろう?


仮想通貨は、崩壊したが、株や、実際の通貨は、大丈夫 とゆうのは、幻想=誰も、それを、補償していない。


あるいは、この、崩壊が、バブルが、弾ける、と、ゆう事で、あるのだろう。


・・・明日も、生きている、と、ゆう前提 も、それを誰も補償していない、とすれば、本当の、価値あるもの、とは、それを補償する事が出来るものだけ と、ゆう事で、あるのだろうか?