形を持たない、神にとって、物質とゆう、形を纏った、体験=一生 は、学校に入って、学んでいるようなもの、と、考えてみる。


一生には、限られた、時間があるが、その、一生で、形の学習が、終わるとは、限らない。


ある夢を見て、自分は、既に、学校を、卒業して、仕事をしていたのだが、仕事は、下のものが、段々覚えて、出来るようになったので、もう、自分の、やる仕事がなくて、また、学校に入って勉強する、とゆう夢。


そうした、一度、卒業した、学校に、また、入学する、とゆう事を、もう、四度程、繰り返していて、そろそろ、四度目の、卒業の時期が、近づいて来たので、今度は、同じ学校ではなくて、新しい学校に、入学しようとしている、とゆう内容。


そして、新しい学校に入って、いよいよ、登校する時が来た とゆう内容に、なっていく。


日月神示にも、四度目か、五度目の、岩戸開き とゆう、くだりがあった、と、思うが、岩戸開き=卒業 とゆう意味なら、岩戸開きは、学校を卒業して、社会に出る とゆう、意味になる・・・のかもしれない。

社会に出る、とゆうのは、学校で学んだ、形を持ったまま、霊=霊体 として、霊界に、出ていく、とゆう事なのかもしれないが、また、新しい学校に入学する、とゆうのは、霊界に、出ていかずに、また、物質を纏い、形を学習する、とゆう事だろうか?


前の、学校には、一度、卒業した学校に、また、入学する、とゆう事だったが、次の学校は、違う学校であり、これは、学校は、学校だけれど、違う世界である、とゆう事なのかもしれない=半霊半物質の世界=形を学習する のと、霊としての、学習を、同時にする=より、霊界=社会 に、近い、学習をする。


もし、物質を纏い、形の学習をする、とゆう事を、理解して、霊としても、目覚めていた=霊の意識がある なら、新しい学校に入っても、やっていける?


・・・世の終わり=卒業 間近になって、学習が足りずに、卒業出来ないから、と、救いを求めて、やって来る が、それは、難しい事=とりあえずは、半霊半物質の、基本的な説明をする、位しか、出来ない・・・。