物質的な世界の、終わりは、その、物質的な世界を、支配する側のもの=観察している、高度な知的生命体 ではなく、権力者や役人 が、霊的な人類 に、抵抗しきれなくなった時に、訪れる、のではないか? と、考えてみる。


物質的な世界の支配者の、力は、物質による、が、霊的な人類の、力は、霊界による?


世に悪=物質的な支配者 が、蔓延った時 に、それを、霊的な人類が、祓う=つまり、テストや、力試し のような、意味合い。


世の悪 を、通じて、霊的な人類は、急速に、成長する、事が出来る=世の悪は、肥やし で、それを、祓う=同じ物質的な方法では、肥やしにならないので、霊的な方法で、祓う に、限る=霊的な方法とは、知的な情報戦なども、含まれる=あるいは、言葉による、説得など。


だから、世の終わりは、何時、とゆう事ではなく、霊的な成長の度合いによる、のかもしれない。


何時とは、言えないが、十分に成長したら、物質的な支配者=世の悪=肥やし は、霊的な人類 に、祓われる、あるいは改心 させられる ので、その様な、事が、起こって来たら、その時、その年の、秋頃 に、とゆう事ではないか?


物質的な支配者=肥やし は、腐らせるだけ、腐らして、肥やしにする事が出来る、が、その肥やしに、盲目的に、従うものは、肥やしにすらならない=もう、燃やして、灰にするしかない。


これには、祓うとか、改心させる と、ゆう事を、直接的にしなくても、盲目的に従わない、見分け、聞き分けをして、悪=肥やし とは、関わらない、とゆう事なのかもしれない=灰にならずに、種だけは、残す。


・・・高度な知的生命体である、観察者は、それとは、気付かれずに、観察し続けるが、成長が十分=意志疎通が可能=話が通じる と、判断すれは、同じ物質世界に、その姿を現して=化身して 、直接、話をする・・・のか?