今回

石井高氏に付いて

書こうと思ったのは

単に石井高氏の存在を

忘れて欲しく無かっただけでなく

今自分が書かなければ

今後石井高氏に付いて

誰も書かないだろうと

思った事が半分。

そして海外に行って

知名度ゼロからスタートし

自力で認められている作家がいる事を

知って欲しいとも思ったのが

半分でした。

故・石井高 氏

 

日本人開拓者たち。

 

日本人製作者が

海外で認められるには

世界のコンクールで

入賞、グランプリを取る事が

一番と思っている風潮が有ります。

賞を取ったら

無条件で認められるものと。

 

しかし、それは事実では有りません。

コンクールは

切っ掛けの一つに過ぎない。

 

例えばビソロッティは

コンクールに一切出品していません。

でもビソロッティ派は

現に存在し

クレモナヴァイオリン界では

一大勢力を誇っています。

故・ビソロッティ 氏

 

日本人ヴァイオリン制作者が

海外で幾つ賞を取ったとしても

それで人気作家に成れる訳では

有りません。

名前を知って貰える

ほんの少しの切っ掛けなんです。

 

日本の陶芸家と

状況は同じです。

 

賞は人気を得る為の

公開セレモニー。

そのあと人気に繋げる事が

実は一番大切。

評価を得るのは

そのずっと先の話しです。

 

そしてそのヴァイオリンが

海外で広く人気を集め

作品が散らばって行かなければ

その評価を得ることすら出来ない。

 

賞を取ったからと言って

日本だけで売れても

それでは世界の評価には

繋がって行かないんです。

 

賞≠評価 

 

で無い事を先ず理解して下さい。

 

では

後世に高い評価を得る

ヴァイオリンとは?

 

この問いに関して

実は既に歴史が示している

事実が有って

それは

生前から高い評判を得ている事。

人気を得ている事。

これが後世に名器となる

一番重要なポイントです。

 

これは

どんな時代でも変わりません。

没後に高い評価を得るのは

実はレアケース。

 

では

石井高氏のヴァイオリンは

どうかというと

現時点では必ずしも

評価が高いとは言えないでしょう。

特に日本に於いては。

 

でもその購入者を知ると

後世評価を得る下地は

残されています。

購入者に各国の

王侯貴族が含まれている。

この意味を理解出来ていない

日本人が実は多い。

 

特注品の

イシイレッドのヴァイオリン。

 

王侯貴族が買うのは

市販品では有りません。

それでは購入者は納得しない。

 

ストラドに代表される

オールドもまた

作られた当時はそうだったんです。

王侯貴族が買うのは

特注のヴァイオリン。

 

精魂込めた力作。

だからこそ

後世に名前持ちと成り

今に伝世している。

出生のはっきりとした

ヴァイオリンとして。

 

逆な言い方をすれば

市販品は市販品に過ぎません。

それはストラドでも同じです。

標準的なヴァイオリン。

巷に広がった買い易いストラド。

 

でも素材の良い作品は

それだけで高くなってしまう。

作家も厳選した良い板を使う時は

特別な作品を作る時だけ。

同じな筈が有りません。

個々で評価が違うのも

当然の事。

 

そんな特別なヴァイオリンを

売り買いする時

果たしてそれらは

庶民の前に出現する事は

有るのでしょうか?

 

良いモノって

裏で取引される事の方が

実は多い。

 

所有者も同じです。

音楽を愛する人なら

自分の大切な楽器を

手放す時は

次の持ち手を選びたい。

変な所へ

落ち着いて欲しくない。

 

時に無償で譲る事だってある。

芸術の世界は

時に金額の問題では

無くなる。

 

音楽は芸術です。

絵画に寄贈が有るように

音楽もまた

次代への継承を求める所有者が

少なからずいる。

 

でもコレクターは違います。

遺産として受け取った人もそう。

お金にしか見えない人達。

そういう人達は

仲介者を使って

先ずお金を持っている

高値で買いそうな常連へ

話しをもって行ってもらう。

これが常套手段。

 

ですから

一流の楽器に付いては

客もまた平等で無い事を

先ず理解して下さい。

著名な楽器ほど

落ち着き先は

自然と選ばれて行きます。

 

現代に於いては

ギターが投機の対象に

成りつつありますが

しかしそれは音色で

評価されている訳では有りません。

 

所有者に由る評価も

結構目に付く。

 

同じ木製の弦楽器でも

これ程の評価の差が出ている。

 

でも

名器が出て来ても実は

可笑しくない。

 

ストラドのギターで

実用可能なのが

一点だけ残されています。

『サビオナリ』1697年製

 

 

 

 

 

 

名器と言うより、珍器に近い。

 

ストラドのバロックギターは

古楽器ではあっても

現代の聴衆の求める

音色には

実は届いていない。

 

ギターという楽器が

成熟し始めたのは

近代に入ってからの事です。

 

名匠が生まれた。

 

アントニオ・トーレス

ハウザー1世

マヌエル・ラミレス

ロベール・ブーシェ

等々

 

でもその楽器の評価は

ヴァイオリンの十分の一以下。

まだまだこれからの世界です。

 

逆な言い方をすれば

日本人でも世界的名工として

そのギターが

後世に残るチャンスが

充分にある世界でも有る。

 

そんなギターの制作者を

目指している人が

いればの話しですが・・・。

 

石井高氏は

ヴァイオリン制作者として

クレモナにその足跡を残しました。

同時に

超一流のヴァイオリンの修理者として

その足跡を残しています。

 

石井高氏は

自分の修理で有る事を

その楽器の中に

シールで残しています。

 

ストラドを筆頭に

多くのオールドの中に

そのシールは

厳然として残されているんです。

 

後世

数多の著名な修復者が

そのシールの存在を

知る事になるでしょう。

 

その時に再び

石井高氏は

その実力を後世に

知らしめる事になります。

 

超一流のマエストロ・石井高として。