ヴァイオリンていうのは

茶道具の御茶碗の世界と

非常によく似ていると

私は思っています。

 

でも御茶碗の世界は

有る意味成熟していて

きちんと棲み分けが

なされているのですが

どうもヴァイオリン事情は

まだまだその域には

到達していない。

 

御茶碗の世界には

古陶磁至上主義を唱える

茶の湯一派が存在していて

この人達は

現代に造られた

古陶磁の写し茶碗も使います。

 

でも写し物は使っても

現代陶の御茶碗を

茶事で使う人達は

かなり少ない。

むしろレア。

 

でも陶芸の世界では

加藤唐九郎や北大路魯山人などの

古陶磁の茶碗に匹敵する

評価を持った

現代の御茶碗が有ったりする。

加藤唐九郎作『紫匂』

古陶磁にこの類例は有りません。

この御茶碗が、紫志野の本歌です。

 

でも

茶の湯一派がこれらの御茶碗を

茶事に使う事は有りません。

現代陶など

はなから相手にしていませんから。

 

でも日本全体では

新作の御茶碗も

きちんと評価しますし

評価されてもいます。

 

作家も同じです。

現代の陶芸家は

時代によって

栄枯盛衰は有っても

きちんと評価されている。

 

ではヴァイオリンの世界は

どうでしょうか。

現代作家のヴァイオリンは

きちんと評価されていますか。

オールド至上主義とは

一体何でしょうか?

 

オールドには

オールドの時代の音色が有り

現代には

現代が求める音色が有ると

そう考えるのは

不自然でしょうか。

 

ストラドの音色

グァルネリの音色は

その時代特有の音色で有り

現代のヴァイオリン作家の音色は

現代の作家にしか出せない音色も

当然有る筈です。

それを求めてくれなければ

実は現代のヴァイオリン作家の

存在意味が無い。

ストラドの模倣で終わったら

永遠にストラドを超える事は出来ません。

だから

現代のヴァイオリン制作者には

新たな音色を追求して欲しいと

思ってしまう。

 

ただその一方で

今の音色が若いからと評して

新作を認めない土壌が有るのも

事実です。

 

でも現代の聴衆が

オールドよりも

現代のヴァイオリンの音色を

好む傾向が有る。

そんな記事を

目にした事は有りませんか?

 

アマティ

1596年12月3日~1684年4月12日

ストラディバリ

1644年/1648年/1649年 - 1737年12月18日)

グァルネリ・デリ・ジェス

1698年8月21日~1744年10月17日

 

グァルネリ・デリ・ジェス

こと

バルトロメオ・ジュゼッペ・アントーニオ・グァルネリ。

弦楽器製作ガァルネリ一族の中でも

一番の名工ですが・・・

アマティの没後に生まれています。

現存数300丁。

 

石井高氏は

グァルネリの板の厚さに付いて

ストラディバリより全体的に

表裏共に0,5~1.0ミリ厚く作られている。

そう説明されています。

漏れ聞いた話しでは

一般的には

グァルネリの板の厚さは

ストラドと同じ程度に薄いと

されているようですが

石井高氏の感触は

異なっている。

 

腑分け・修復で得られた

生の情報でしょう。

ストラドの板の厚さは

標準より薄い(2,5ミリ前後)と

されていますから。

グァルネリの板は

標準よりむしろ厚い部分も有る。

標準は確か

3ミリだったと思いますので。

 

だから二人の作るヴァイオリンは

そのコンセプトが異なる。

 

0.2ミリ薄く削るかどうかの世界で

逆に板を厚めに削っていたグァルネリ。

それでも繊細な音色も

奏でる事が出来る。

それがグァルネリが

ストラディバリと並ぶ天才と

呼ばれる

由縁なのかも知れません。

 

そう考えて行くと

天才は突然出現しますから

ガァルネリ以降から

現代までに

1~2人名工が出現していても

可笑しく有りません。

 

ガリンベルティ

 

現代では

この作家を推す声が

日に日に高まっていますし

実は石井高氏も

ストラドを超えていると

評価されています。

ガリンベルティ

 

まあ

ストラドを超えているかどうかは

ともかく

現代の新作が

評価される事自体は

何ら問題は無いのですが

日本に於ける

ヴァイオリンに対する知識が

実はかなり偏っている部分が有って

そこが実は一番の問題の様にも

思えてしまう。

 

新作に正当な評価を考えない土壌。

 

でも

世界の評価は異なります。

 

18世紀から19世紀で活躍した製作者

ガダニーニ(G.B.Guadagnini)

ベルゴンツィ(C.Bergonzi)

プレセンダ( G.Pressenda)

ロッカ(E.Rocca)。

 

20世紀の製作者

ファニョーラ(H.Fagnola)

アントニアッツィ(R.Antoniazzi)

ガリンベルティ(F.Garimberti)

ポッジ(A.Poggi)

オルナーティ(G.Ornati)

 

世界では既に

投機の対象となっている作家です。

 

この中に

その内突出した評価を得る

制作者が

含まれている可能性は

間違い無く有ります。

 

ニコロ・パガニーニ

 

ニコロ・パガニーニ

 

ヴァイオリンの名手と呼ばれ

愛器は1743年に

グァルネリ・デリ・ジェスが制作した

イル・カノーネ。

作られてから

59年後にバガニーニが演奏に使用し

その評判から

持ち主であったリヴロンから

譲渡され

終生の愛器として

使われていました。

イル・カノーネ

 

つまりこのヴァイオリンが

人気を博したのは

作られてから59年後の事。

天才演奏家によって

真の価値を見い出されたと言っても

過言では有りません。

 

奏者と楽器の相性というのは

新作もオールドも

関係無いんです。

 

ヴァイオリンと言う楽器は

多分かなりの曲者だと

自分は考えています。

 

特に名器と言うのは

その個性が特に強いと思っていて

並の演奏家では

弾き熟せない特長を

持っている。

それは

千住真理子嬢の文にも

現れています。

 

興味の有る方は

その苦労話を是非読んで見て下さい。

ストラドの演奏が

どれだけの苦難だったのか

お判り頂けると思います。

その音色を生かすために

自分を変えなければ

成らなかった事に・・・。

 

もし

超一流のヴァイオリン奏者が

これだという

クセの強いヴァイオリンと

巡り合った時

それが名も無き製作者の作った

ヴァイオリンだったとしたら

どんなに面白い事に

なるのでしょうか。

 

奏者と楽器のめぐり逢いと言うのは

有る意味

偶然が生む必然ではないかと

自分は思ってしまいます。

 

ニコロ・パガニーニと

イル・カノーネの

出会いのように・・・。