昨日、友人に会った。

たわいのない話をした。

私はせっかちの方だけど、彼女はのんびり派。

見るからに可愛らしい感じだ。

私が喋る切り崩しの言葉。

一方的に話しているように見えるけれど

私は立ち止まって相手の言い分を聴く。

聴く = 聞く ではない。

相手のの話を聴くことは

奥深くしまった読みの言葉を確認することだ。

いつでもそう。

大切な友人は堰を切ったように自身のことを話し出す。

私の好きなパターン。

充実した時間の流れだ。

 

ピンクの真っ直ぐ咲いているシクラメンの言葉。

「 いろんな人と付き合ってみなさい 」

彼女は価値観が昔の私に似ている。

そうだったな!というより残り香のような。

今もそう。

その気持ちは痛いほどわかる。

私はそれを無駄だとは思わない。

とても大切なことと思う。

『 あなたの隣人がどんな人でも人を許して

 距離を保って上手に付き合いなさい 』

今降りてきた言葉だ。

 

わずか数時間の会話の中で

彼女は分かるという感覚を理解してくれたようだ。

共感とは違う。

それぞれに分かる。

言葉を介してではなく感覚として理解すること。

今の社会にはそれが大きく欠けている。

 

有意義な会話を楽しみたければ

視点を変えること。

ありとあらゆる考えに耳を傾けること。

※ 困ったら即、派閥解消をする誰かとは違う。

茶番にもならない。

 

耳。

聴く。

十の横目の心。

目を横にするのは均等に見るため。

十は完成形。

柔軟な十でもある。

そして最後は肝心要の心。

下でしっかり受け止める。

文字ひとつひとつのメッセージ。

 

視える人を羨ましいと思うのは大きな間違い。

感じないことに多少ガッカリすることも違う。

統計学で決めつけるのはもっとNG。

経験がアドバイザーを作る。

言葉は逆に働く。

欠点と決めつけていた事が長所に変わる。

一瞬にして。

それが聴く耳。

 

風の通り道。

さっと吹いて微かな音をチリンと鳴らす。

 

さて、今日はどこに行こうか。

働き過ぎずに休む時は休む。

来週はもう情報が降りてきている。

楽しいことになりそうだ。

 

こんな時代だからこそしっかり生きましょう。

先ずは自分から。

そして、1日も早く雨が降るように。

ほどよい潤いを。

 

感謝を込めて。