誰しも自分をわかって貰いたい。
たくさんの人に理解してほしい。
人としての輪を綺麗に繋いでいきたい。
それは現代では当然至極のように思われています。
そこに現れたインターネット。
SNSもインスタも共通認識として普及しています。
見えない想像の世界から友達を見つけたい。
孤独社会の現実は一部の幸福と大きな不幸を生み出しました。
これは誰もが知っている考え方です。
さて、ここで登場する承認欲求。
気の病と言われる原因を作る因子のひとつです。
もう書くまでもなくそのまま。
起きたことを公開する。
個人の生活をオープンにする。
反論を受けると躍起になって反論を仕返す。
色々とあります。
その中で1番危険だと思うのは、
気持ちがまとまらないまま呟いてしまう。
多投のSNSやインスタ。
時に家庭を晒すことにもなります。
まだ出ていない結果を気持ちだけで表現してしまう。
当然、回数はドンドン増えていきます。
そこで、ふと立ち止まる力。
他人に言われたからといってすぐに落ち込まないこと。
何しろ、発信をしたのは自分なのです。
大いなる自主性です。
それはビジネスとは明らかに違います。
単なる自己憐憫です。
承認欲求が強くなった原因を親のせいとしがちな世の中。
でも考えてみてください。
その親を選んでわざわざ修行に来たのは勇気ある魂です。
どこにも可哀想なんて言葉は当てはまりません。
知らず知らずに可哀想を盛り込む投稿の数々。
そこにはまってしまっては時間が勿体無いです。
自己を制する気持ちを。
言葉を投げかけるタイミングを。
本当に必要なのかを考えることの大切さを。
争いは自ら起こしているのです。
それが心の戦争です。
私はそう思います。
感謝を込めて。