相田 光男(あいだ みつを)
1924年5月20日
日本の旗 日本栃木県足利市死没1991年12月17日(67歳没)
栃木県足利市
代表作にんげんだもの、おかげさん

1991年、道でころんで足を骨折し、足利市内の整形外科に入院したが、

脳内出血と診断され、それが原因となり急逝。最期まで仕事への意欲は衰えず、

「一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい」というのが、

長男・一人との最期の会話になった。67歳没。

 

作品に対して妥協を許さず、「逢」というたった一文字を書くために何百枚何千枚と紙を使用したり、

印刷のわずかなズレや墨の色の微妙な違いから印刷済みの色紙千枚がボツになったこともあったという]

挫折を乗り越えてつくりあげられた作品には自らの実生活が重ね合わされているのが特徴である。

 

 

 

 

つまづいたって
 

いいじゃないか

にんげんだもの

  みつを

—相田みつを(『にんげんだもの』より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

膵臓がんだが, なんとか  昨日は 1日 元気に生きていた. 

まだ 見た目は 元気そうだ. 

今日もまだ 生きている.

いつまで生きているか 誰も わからない.

手術しても 再発 転移するし.

 生きるだけ 生きるしかない. 生き切る.

 

誰を恨んでも 仕方ないが....

しかし,

なぜ あのときの検査で  転移 再発が  分からないのか・・・・???

その時は わからなかったのかなあ 

その時 分かっても 同しようもないことが多い.

これが 人生かな・・・