国が難病指定されている
網膜色素変性症と わかるまでの事を 書きたいと思います
両親は 目が良いです
私は 小さい頃から 乱視と遠視でした
外で遊ぶ子だったし
学生時代は テレビは あまり見させてもらわなかったので テレビが 原因じゃなかったと思います
中学1年生の 入学前に メガネを作ってもらって その眼鏡が嫌で 買ったその日に よった スーパーに わざと置いてきて 無くしたと 嘘を付きました
近くは見えるし 黒板の字は 見えたから 学生時代は 眼鏡無しで過ごし 0.7ぐらいでした
父親に言われて 車の免許を取る時に 裸眼で 0.7なくて それから メガネを作り 仕事の時はハードのコンタクトレンズをし ちゃんと使用法を守って 眼科にも 通っていました
面倒くさくなって
2003年に コンタクトをやめてから
車の免許書き換えの時だけ メガネをして ペーパードライバーだったから
普段は 何もしないで 生活していました
韓国に 来てからは 毎年4.5回程度 花粉症の 目の充血の為に眼科へ通い
2011 年に 気づいたら 右目の 乱視がひどくなり レーザー レーシック治療ができる 家から行ける 少し大きい眼科に行きました
この時は 視力の低下と思い 気にしていなかったのと 長女が生まれて 1年 たっていなく 母乳をあげてたので 目薬が 使えなく
自分の 健康管理に使う 時間はなく 子育て 奮闘期だったし 無知すぎたんだと思います
眼科で 2種類の機械の 気球を見る 屈折検査と 空気が出る ( 大学病院でした 目薬さしてするのとは 違う) 検査をして
女性のきつい口調の先生が レンズを
合わせてくれました
その時に 右目は どのレンズも合わないのに ちゃんと見なさいと 叱られ 見えないと 答えたにも関わらず
レンズの度数を出されました
違う眼科にもう一箇所行ったんだけど 目には 異常は無いと言われたし
日本の 実家近くの 眼科にも行きました
メガネでは 見えないのだと あきらめました
効き目が 左だからか それ以上気にしなかったし 悪くなってるのが わかりませんでした
一つ気になる事は 暗めの場所で 同じ色で 統一されている 地面と 階段を降りるのが 怖くて 最後の段差が どこまであるのか わかりづらかった事です 滑り止めや 色で 印があったらと いつも 思っていました