後から昨日の記事で、肝心のところを書き忘れていたってなりました^^;
きのう、般若心経のことを書かせてもらいましたが、真面目な方は先祖供養の方法を熱心に踏襲されます。
逆に言うと、方法が合っていれば供養できていると思いがちなので、きのうの記事を書かせて頂きました。
しかし方法ではなく気持ちが大事というのは、私の経験則によるところもあります。
私の経験則よりも、脈々と受け継がれた仏教的な方法の方が合っているに決まっていると思われる方もいると思います。
それはそうかもしれません。
でも私がそう感じるようになった原因も、いくつかあります。
鑑定でもお伝えしていますが、供養の時は相手の宗教に合わせて行っています。
相手が信じている宗教で拝む方が、供養が届きやすいからです。
元々知っているものなので、理解度が深く、供養を受け入れてもらいやすいようです。
私の先祖や村の方はキリシタンだったので、その時代の先祖はキリスト教の神さまを拝んで上がって頂きました。
でも私の先祖全体としては浄土真宗なので、基本的には仏教で拝んでいます。
でもこれはある意味、矛盾を感じる話です。
結局のところ、どの宗教でも良い…ともとれます。
つまりどの宗教でも上がれるし、無宗教でも成仏はできるんだなと思いました。
私はキリスト教の前世もあるし、カルマもあるので、子供の頃からこう思っていました。
「キリスト教を信じていれば天国の門をくぐれるなんて、神様というものがいるなら、そんな狭い視野で何かを言ってくるなんておかしい」
前世がキリスト教の弾圧や魔女裁判で亡くなっているので、カルマがあると否定的になってしまうんですよね。
前世で神父や悪魔祓い師、お坊さんなどをしている関係で、神職側の気持ちや事情も知っています。
人間の都合や宗派で言っていることが違うのも、何だか矛盾していて気になります。
そういったこともあって、先祖供養で方法に固執しないでくださいとお伝えしています。
霊が成仏していくのを何度も視ていますが、供養を受け入れられれば、本当はそこに宗教はあってもなくても良いと思っています。
うちの先祖関係は宗教が原因で亡くなっているので、どうしてもキリスト教というものは避けては通れませんでしたが。。
感動して気持ちが洗われるような経験は、誰もがしたことがあると思います。
ひとが成仏していく時はそんな状態に似ているそうです。
ご先祖さまを悼み、お盆お彼岸にもてなし、労う気持ちを大事にして、供養してみてください。

太古の人間も、死を悼むことをしていたと聞きます。
その時代はきっと自然が神様だったと思っています。
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