母が亡くなり、父は、特養にいました。
母が亡くなったことを伝えましたが、父は、あの亡くなった時に母の顔を見ただけでいつもと同じように特養で暮らしていました。
そして、葬儀の相談。私も初めてのことで訳が分からないうちにどんどんと進んでいきました。
私が中心で親類の方々に電話。
これがすごく大変で父の兄弟は7人。母の兄弟も7人。
この電話だけで。でもね。今は、どの兄弟たちも高齢。
そんなこともあり、最後は、いとこたちと連絡を取り合うようになりました。
コロナ禍ということもあり、家族葬でするということも決まり。
それもお通夜とお葬式も一緒に1度にすますということになり、いろいろなことが決まっていきました。
父が喪主ということも決まりました。
お通夜とお葬式を一緒にするということは、父をお葬式には出してあげたいとの思いでこのような形になりました。
コロナ禍の中の父の移動。
それも、大変なことだったのです。
老人ホームから父を出すということは、どこで感染するのかわからないということもあり、介護タクシーを使い、葬儀の時だけ、父を連れてきて、葬儀が終わったら、父を特別養護老人ホームに介護タクシーで戻すということでなるべく人と会わずに戻すということを特養とも話し合い、そんな形をとり、家族葬となりました。
喪主の父でしたが、母が亡くなったことは、葬儀に来てもわかっていたのか?
あと、大変だったのは、父の洋服探しでした。
実家の背広は、もう、古くて穴も空いていたので着られず、借りるにしても大変ということで簡単に着られる黒っぽい服を買って葬儀に参加という形になりました。
何しろ、コロナ禍の中、父を特養から連れてきて特養に返すという本来ならば外に出た場合は、特養の中に戻すには、いろいろな条件があったんです。父の短い外出となりました。