ウガヤフキアエズ - Wikipedia

 

鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと[1][2]、うがやふきあえずのみこと)は、日本神話地神五代の5代目、日向三代の3代目。神武天皇の父。

 

動画の先頭です。

 

 

子どもの頃に

もっと日本に残された文献から

想像される歴史、それが可能性でも

良いから

その存在自体を教えられていたら

もっともっと我が国に

心の根を下ろした人になっていたかも

しれないと思うのです。

GHQによって焚書となった書物が

あったのならなおさら、

今からでも判っていることを

日本国民として子ども達に伝えて

行くことが必要ではないでしょうか。

国がやらないなら

民間でこのことを絶やさない姿勢を

持ちたいです。

どの道、歴史は勝者によって

書き換えられてきたものだというのは

常識です。であるならば

私達は、私達の国の歴史に対して

もっと誇りを持てる形を模索して

良いと思います。

こんな年齢になっても、『ウガヤフキアエズ』

という言葉に浪漫を感じるのです。

それが生きて行くときの心の

豊かさに確実につながっていると

思うのです。

私の生まれて育った時期には、

過去の日本と自分は分断されており、

自分自身と日本と言う国とも分断されていたと

思います。今から思えばですが

個人主義が心に巣食い、それが

正しいことのように他人との距離を

取っていたような気がします。

これは私の個人的な性質に起因している

ことなのかもしれませんが。

そのくせ、

小学校の運動会の時

気管支炎を患った後だったのか

運動会には参加できず

5年生だったか6年生当時の教室から

運動会の様子を見下ろていて

フォークダンスなどが始まると、

世界人類が皆仲良く手を取り合う

理想的な未来を妄想的に夢想

していたのですから矛盾して

いるのですが、

そのような心境はその時だけで、

長続きしませんでした。

 

神話の無い国は滅びる とは

よく言われることです。

自身のルーツを認識し、誇りを持つことが

どれほど人生に大きく影響するのかを

知らなければいけないんだと

やっと解ってきたところです。

 

歴史に興味が湧かなかったのも、

そういうことに価値を感じていなかった

からだと思います。

 

自分とは、たまたま、今の環境に

放り込まれたように生まれ、

たまたまできた今の世の中で

生きるしかない、分断された自分の

イメージがどこかに

あったのではないかと思います。

 

日本国民ならば、自分が自分の両親の

元に生まれたのと同じことのように

自分の国のことを知りたいと

思える感覚が無いと、何をよりどころに

したらいいのか分からないという

不確かさが心に巣食いますし、

 

歴史にも興味が湧かないのです。

歴史から何かを学ぶなどという

”高尚な”言葉は私の心には届かなかったのです。

 

「二度と戦争などは起こしては

いけない」ということだけ理解したら

それ以上の歴史の

勉強なんて、何が必要なんだろう・・・という

程度にしか意識が薄かったのです。

ですから

テストで落第点を取らない程度に

教科書を覚えるだけというありさまでした。

 

おそらく、日本民族のルーツの

【謎】のままでも良いから

知っていたら、私でも

そこに価値を見出して

いたのではないでしょうか。

 

どんなことにも興味を見出して

自ら学ぶ意識が持てるかどうかは

個人的なモチベーションが持てる

環境に育ったかどうかも

あるでしょう。

何もかもが生まれつきではなく

教育 という言葉は好きではないので

先日知った

「啓育」という言葉を

使わさせていただきますが

この 啓育 があれば、

生まれつきをさらに良い方向へ

そして何かを引き出して行く

こととなるのではないでしょうか。

 

「啓育」については

こちらの記事内の動画を

ご覧ください<(_ _)>

 

 

 

 

 

お読みいただきまして

ありがとうございます<(_ _)>キラキララブラブ


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