今朝の5時台でしたか

6時近かったのか

まだ暗い中、愛犬が起き出したことに

気づき、目覚めました。

 

昨日、お散歩しても

用を足していなかったことが

気になったので、

すぐ支度して

外へ連れて出たのです。

 

家の前の道へ出たところで、

『まずいですよ』という言葉が

浮かびました。

 

私は、何がまずいのかを考えたのですが

これは能登の大震災の被害について

なのではないかと思ったのです。

 

それしか心当たりがありませんでしたし、

調べれば良いと感じる言葉と、

直に言われた言葉との違いが

私には解らないので、

直に言われたとしたら・・・と考えるなら

祈るしかありませんでした。

 

「どうか大難を小難に、小難を無難に

変えていただきますようお願いします」と

 

くり返し心の中でお祈りしていました。

 

そこから少し歩いたところで、

やはりすぐに、愛犬が

済ませていなかったほうの

ウンチをしてくれました。

 

シッコは0時頃にしていたのです。

このごろでは、

数時間の間隔ではシッコをしないので、

私の中では、

シッコはその時はしないという前提でした。

ウンチだけ済ませて、

そのまま家に入りました。

 

するとなんと、

玄関に入って、あがりかまちを

上ってすぐでした。

玄関マットの少し先に

敷いてあった、滑り止め用の

ふかふかマットの上に、

シッコをたっぷりしてしまいました。

 

この時『まずいですよ』とは

私の思い込みがまずかったのか・・とも

考えられました。

 

何の脈絡も心当たりも、震災のことが

思いつくという以外には

ありませんでしたが、

自分の目の前のちょっとした悲劇に対して

教えていただけたのかもしれません。

 

このシッコについては、

すぐに片付けることもできましたし

大したことではありませんでした。

でも、それだけでは済まなかったのです。

 

その後結局シッコもウンチも済ませて

いるわけですから、

安心して、愛犬のごはんを作りに

キッチンに立っていたのです。

10時半頃になっていました。

 

考えてみれば、5時間経っているのですが、

このごろは、おトイレの間隔が

とても長いということが続いて

いるので、安心しきっていたのです。

できた手作りご飯を持って愛犬の

いる部屋へ行くと、

なんと、敷き詰めたシーツに

シッコもウンチもしてありました。

悲劇は、本犬が、

ウンチを踏んでしまうことなのです。

汚い話で申し訳ありません。

高齢になると、クルクル回るクセが

出るようで、どうしても

放っておくと、踏むことになるのです。

 

愛犬の足を洗うためには、

そこそこ大きい中型犬の足を

触らないように

抱っこして

お風呂場まで行かなければならないのです。

その後、お風呂のお掃除もけっこう

大変になるのです。

 

この一連の作業のために

頭の中は手順をどうやるのかで

フル回転です。

手に持ったごはんはとりあえず

冷めてしまっても仕方ないので

横へ置いておいて、

 

愛犬の動ける範囲を狭くするために

段ボールで仕切ります。

 

その後、汚れたシーツを折り曲げて

自分の歩ける場所を確保しながら

愛犬が踏んだと思われる場所の

シーツを丸めて片付けて行きます。

 

かなりの範囲のシーツを捨てることに

なりました。

それから、お風呂場までの

経路を作ります。ドアを先に開けておく

などです。

そして、愛犬を抱えて、

お風呂場に置いておき、

お風呂の扉を閉めます。

しばらく愛犬をそこで待たせることに

なります。

 

その間、新しいシーツを敷き詰めて

元通りに綺麗にします。

 

お風呂場から出た時のために

お風呂場の前に

犬を拭く布類を用意してから

お風呂場へ入り、

愛犬の足をよく洗います。

 

ここまで来ればほぼ、完了に

近いのですが、

お風呂掃除はよく洗って

キッチンハイターなどを

塗ってしばらく置いておきます。

 

その後洗い流せば

本当の完了です。

 

どことなく自分自身の衣類も

着替えないと、気持ち悪い

ので着替えます。

 

このようなちょっとした惨事が

時折訪れます。

生命の生理現象ひとつ予測できませんね。

 

ましてや

大自然の働きは、誰にも

予測できるものではありません。

 

紙おむつをさせてくれるほど

頭がよくもなく、

素直ではなく、体が元気で、

抵抗しますから

 

家の中のトイレのしつけを

しなかった室内飼いのワンコは

こんな苦労があります。

 

いつも見張っている感じになりますから

私の仕事としてはちょうど良いとも

言えます。

一人の人間が、徹底して

見てやらないと悲劇が起きる率が

高くなりますので私が担当しています。

 

仕事と言えるほどのことでも

ありませんが 

家族の一員としての愛犬を

最後まで責任を持って世話すること

それができることは

幸せなことです。

 

犬は人間を守りたいという

思いを持って生まれてきているんだと

神様とお話できるお子さんが

言っておられました。

 

だから

守らせてあげないと、

犬は喜んではいないんだろうなと

思うのです。

 

あまり過保護に、人間が犬を

守ってしまうと、ただの愛玩犬として

扱われて、犬としては不本意なのかも

しれません。

 

ただ、老犬になると、どうしても

お世話するだけみたいに

なりますが実際には

いまだに癒してくれる存在として

私を助けてくれています。

 

若い間は、この田舎の広い空間で

人間であれ動物であれ

他からの侵入者に対して警告を

発して家族に

知らせてくれたりしていましたね。

 

時々、今日のような粗相を繰り返しながら

手慣れてくるのを感じています。

 

私のこのような悲劇は

大したことではありません。

被災してしまわれた皆さまの

今を思いますと、こんな犬の世話が

できる自分の今がどれほど

幸せなのかと思うのです。

 

ニュース動画から知った情報に

よりますと、

亡くなった方の数が増えて

いました。

そのことは本当に

まずいです。