先ほどキッチンのテーブルを

台布巾で拭いている時でした。

何の脈絡もなく浮かんだので

何かあると思いました。

『さうすだこた』をひらがな検索

してみました。

 

ウィキの説明でしょうか

サウス・ダコタ州のことが

先頭にあり

 

伝統的なネイティブアメリカンの

部族のリーダーを称える

クレイジーホース記念碑があるとの

ことで気になったので

調べてみました。

 

驚いたことに、今でもその記念碑を

製作中だとのことです。

その経緯とその真心をひしひしと

感じられる事実を皆さんに

知っていただきたいと思いました。

ネイティブアメリカンの教え

という本にも、感銘を受けたことが

ありました(加藤諦三先生の

ご著書でした)が

それも偶然ではなかったと思いました。

 

 

クレイジー・ホースは米軍や白人入植者の侵略からラコタ族の領土や、聖地ハパ・サバ(ブラックヒルズ)を守るために戦った勇敢なラコタ族の戦士のひとりで、カスター中佐率いるアメリカ陸軍第7騎兵連隊を全滅させた1876年の「リトルビッグホーンの戦い」などで知られている。

制作者である彫刻家コルチャック・ジオルコウスキーは、「記念碑」建設のきっかけは、「1947年に、ラコタ族のヘンリー・スタンディング・ベア(Henry Standing Bear)が『わしらレッド・マン(インディアン)にも偉大な英雄がいることを白人達に知って欲しい。ラシュモア山(アメリカ合衆国大統領の巨大な顔の彫刻がある)よりも大きな、クレイジー・ホースの彫刻を造ってくれないか』と依頼した事に始まった」と説明している。

1972年にレイムディアーラッセル・ミーンズらラコタ族伝統派がジオルコウスキーの家を訪ねた際に、ジオルコウスキーは「記念碑建設」についてのスタンディングベアとの覚書らしきものを見せている[1]。またこの際、ジオルコウスキーはこの事業が金儲けのためのものであることをインディアンたちに明言している。

以後、コルチャックはクレイジー・ホースの彫刻制作に専念していった。1982年、コルチャックが74歳で亡くなるが、その後もコルチャックの家族がその遺志を継いで彫り続けた。コルチャックには5人の息子と5人の娘がいて、現在も遺志を受け継ぎ、クレイジー・ホースの彫刻が完成するまで彫り続けている。連邦政府から支援すると言う申し出があったが、コルチャック一家はそれを断り、非営利団体に運営を任せた。政府に任せると、将来何らかの理由で計画が中断される可能性があり、コルチャック一家はそれを恐れたのである。

「クレイジー・ホース記念碑」は未完成で、現在も製作中である。1998年にはついに顔の部分が完成した。全て完成するとクレイジー・ホースが馬に乗り、指を差している姿で、高さ170m、長さ195mと世界最大の彫像になる。制作方法は、主に爆薬による粉砕彫刻である。

 

 

お読みいただきまして

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