皆様こんにちは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

昨日も疲労で寝落ちしてしまいました…。1月より連続投稿皆勤賞を継続していましたが一旦糸が切れるとなかなか継続するのは難しいですね・・・。特に私は書き出すと長文になる傾向なので、ネタや内容を考えて、写真などの材料を段取りして、いざ書き出してというと結構時間が掛かってしまいます。写真1枚文章1行といった時事ネタを提供できれば良いのですが過去ネタ・車両ネタばかりなので準備が大変なのです。

 

さて昨日はダイヤ改正前日で、関東地区では185系・215系の定期運用消滅というビッグニュースだったので盛り上がりの大きい改正であったような感です。その他車両の新旧交代が多くあり、北海道ではH100型の投入によるキハ40の縮小、秋田ではEV-E801系、GV-E401系投入によるキハ40系の引退、七尾線では521系化による415系・413系の引退、紀勢本線では227系投入による105系の引退、長崎地区ではYC-1系投入によるキハ200の引退、貨物ではDD51の引退など、引退ネタが目立つ改正となったような感じがします。当然引退の裏には新型車の投入があるのですが、あまり新車にはフォーカスが当てられていない感がしますね。

 

毎回こういった車両引退・廃止・廃線の際には多くの鉄道ファンが集まり、「葬式鉄」と揶揄されて煙たがられるようになり、中には警察沙汰になったりニュースになったりと良い印象はありません。「廃止が決まってから群がるのなら普段から撮っておけよ!」という意見もありそれはごもっともなのですが、過去に最終日や最終列車を体験した者としては、やはり「最終」でしか味わえない感慨深いものもあることは事実です。

 

私が「廃止」の当日に立ち会ったのは1995年9月の深名線廃止、そして1996年3月の急行「丹後」の廃止の2回になります。既に20年以上も前の出来事なのですね。

 

 

↑通常はキハ53の単行で運用されていた深名線ですが、最終日は3~5両に増結されており、3運用を全て繋いで深川へ帰る最終列車は10両編成でした。このような長編成が走るのは廃止間際の特徴でした。

 

長編成でホームから思いっきりはみ出していますが普通にドアを開け、乗客や係員がよじ登っているのはまだ大らかな時代だった証拠でしょう。いまこんなことやったらそれこそニュースになりそうです。

 

↑キハ54・キハ40・キハ48・キハ53・キハ56・キハ27と、各地からかき集めて走行していました。

 

↑廃止前日の朱鞠内駅。

 

最終列車に乗り、ガタゴトとジョイント音を刻んで走る列車に身をゆだねると「このジョイント音も最後の音なんだな」と思い、また沿線の数少ない駅では数少ない住民が最終列車を見送りに来ていました。

 

そして最終列車は深川へ着くと所属である旭川へ回送され、二度と深名線に列車が走らないと認識すると非常に寂しい思いになりました。こういった体験は最終日でないと体験できないのでしょう。

 

そして…

 

↑1996年3月のダイヤ改正で廃止された急行「丹後」です。この改正では同じくグリーン車を組み込んだ最後の電車急行であった「東海」も廃止となっており、更に北海道では前に挙げた深名線と同じくキハ56改造の「キハ53」が活躍していた札沼線で、キハ40 400への置き換え・ワンマン化によるキハ53の終焉もありました。どれに行こうか非常に悩みましたが、札沼線は当時札幌在住で廃止前に色々撮影が出来たことから、最終日は急行「丹後」に行くことにしました。

 

同改正では急行「東海」と合わせて「大垣夜行」が最終となり、更に鶴見線のクモハ12の引退、八高線南部電化と北部へのキハ110投入によるキハ35系の引退、山陰地区では北近畿タンゴ鉄道の宮福線も電化されたことから急行「みやづ」廃止、あと「但馬」「エーデル丹後」も廃止となりました。特に東海・大垣夜行での165系引退のインパクトが大きかったことから、「丹後」にはあまり人が集まらない状況でした。

 

↑急行色の「キロ28」はこれが最後となっていました。キロ28自体は急行「たかやま」でこの後も残存しました。

 

↑1本、また1本と京都駅を出発し、残り列車がわずかとなるとなにか「ぐっ」と来るものがありました。

 

↑こいつも園部には来なくなりました。

 

キハ58系の長編成列車に乗れば、曲線の多い所では最後尾に乗ると先頭車が車内からよく見えました。まさに「くねくね」と進んでゆく様子が車窓と共によく眺めることが出来ました。そして最後尾にいると7両分の煤煙が顔に迫ってくるようで、(環境には良くなさそうですが…)良い雰囲気を出していました。これが2~3両ではそうはいきませんからね。最近ではそういう体験も大都市圏の通勤電車以外では出来なくなってきました。

 

そして最終列車が到着し、車両基地へ入区してエンジンを停止したりパンタを下すと、「ああ、もうこの車両達は用済みになってしまったのだな」と思い切なくなってきました。

 

このようにやはり最終日・最終列車でないと経験できないものもあると思いますので、一概にこういったものに集まることを否定はしませんが、私が体験したのは既に20年以上前のこと、現在は鉄道趣味を取り巻く環境も変わってきておりますし、また一部鉄道ファンの心無き行動がクローズアップされる時代となり、「葬式鉄」と揶揄されて敬遠されるのはある意味非常に残念だと思います。私も現在は東海道線からは非常に近いところにいますが185系の最終を見に行くのは憚られてしまい行っていません。

 

何か趣味をやりづらい世の中になったなぁと感じずにはいられない世の中になりましたが、他所に迷惑を掛けない程度に続けてゆきたいなぁと思う今日この頃です。

 

今日から新ダイヤで恐らくE257 系を使用した踊り子やライナーはもう見向きもされないようになるのでしょう。例えばキハE120に変わった只見線やEV-E301に変わった烏山線なんて、写真をネットで探しても出てきすらしません。趣味的なネタも少なくなってきている昨今、私は相変わらずキハ58系を続けるのかな!?

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!