皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。
前回はホームページ上キハ28イラストの昭和37年度第1次債務のうち帝国車両製となる190~196をご紹介しました。今回は続きで昭和37年度利用債の車である197~203をご紹介したいと思います。この197~203はキハ28 0番台車で数少ない新潟鐵工製となります。同社製はこの他14~29しかいません。
キハ28 2198 (KTR1001)
↑この車も先日ご紹介したキハ28 2188と同様車籍復活車になります。当車はJRではなく「北近畿タンゴ鉄道」へと譲渡されましたが、はじめから「いすみ鉄道」へ譲渡目的で廃車されたキハ28 2346とは異なり、当車は国鉄末期に本来の廃車手続きが行われ解体待ちであった所に復活の手が差し伸べられました。1987年2月10日付で向日町運転所で一旦廃車となり解体待ちとなってたところ、新たに第三セクター開業することになった宮津線で使用するため1990年に国鉄清算事業団から北近畿タンゴ鉄道へ譲渡されています。これは同時に譲渡されたキハ58 591も同様です。この2両は国鉄からJRへ継承する際予備車削減のため向日町区に当時在籍していたキハ28・58の最若番が1両ずつ廃車になっていたものでした。
形態はオーソドックスな関西タイプの顔つきですが、長く向日町配置であったのにスノープロウを付けているのが珍しかったです。大鉄局では宮原配置車は急行「ちくま」や「ゆのくに」を担当していたためスノープロウ付き車が多くいましたが、紀伊半島方面を担当する向日町配置車はスノープロウ取付車はレアになります。
↑この車は私も目撃していました。保存目的で譲渡された「いすみ鉄道」車を除くと、公式上唯一の私鉄・三セク譲渡車になります。(一時期某私鉄に怪しい車がいましたが…) 今となってはもっとまじめに色々形態を撮っておけばよかったですね…。 屋根上のアンテナは独特の形状のものが付いています。
キハ28 2199
↑この車は特に形態上特徴はありませんでしたが、山陰本線筋を西に東に転々とした車でした。新製からの動きは福知山→向日町→浜田→小郡→鳥取→小郡(山口)です。この車は長く非冷房のままであり、「53-10改正」で非冷房のまま向日町から浜田へ転属しています。同改正では同じく向日町からキハ28 84が、そして昨日ご紹介しましたが八戸からキハ28 188が浜田へ非冷房のまま転じています。そしてこの199は八戸から来た188と共に、キハ58系冷房化の最末期に冷房化されました。当車は1980年5月19日付で4VK取り付けと冷房化が行われ2199に改番されています。その後は急行「さんべ」の運用と共に西に東に移動しましたが、最終的には小郡に戻り山陰本線の普通列車で活躍しました。
形態的には浜田時代の影響を色濃く残しておりますが、特に珍しい点はありません。
↑浜田由来の後藤工場タイプの形態で特に目新しい点はありません。
これにてキハ28 0番台のご紹介が全車完了いたしました。次回は0番台の派生区分である800番台をご紹介したいと思います。
今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!
是非私のホームページ
http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html
にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。