皆さまこんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

最近はキハ58系特定列車シリーズの記事を自分で書いて、自分で欲しくなる衝動に駆られています。先日中央西線で有名な急行「赤倉」をご紹介し好評のようでしたので、次は急行「ちくま」および「越後・ゆのくに」をご紹介します。

 

「ちくま」と聞くと客車列車を思い浮かべる方が多いと思いますし、はたまた宮原の167系を使用していた臨時急行「ちくま・つがいけ」なんていうのも思い浮かべる方もいらっしゃるかと思います。が、キハ58という印象を抱く方はなかなかいらっしゃらないでしょう。実はこの167系の前身がキハ58系「ちくま」で、1978年10月のダイヤ改正まで走っていました。走行区間は大阪~長野間で、基本10両編成が長野担当、松本止まりの付属編成が宮原の担当でした。新潟~名古屋間を走っていた急行「赤倉」といい、中央西線には長距離を走行する架線下気動車急行が多く走っていましたね。そしてそれに留まらずこの急行の運用は非常に面白いものでした。この急行「ちくま」は、大阪に到着するとそのまま折り返さず、なんと新潟及び七尾・能登線に入る急行「越後・ゆのくに」に充当されました。基本編成の10両は6+4両に分かれており、6両は新潟行きに、基本のうちの4両と付属2両の6両が能登線珠洲を目指しました。さらにこの編成は七尾・能登線内の急行「能登路」に充当された後、帰りは輪島発の大阪行きになるというものでした。七尾線に入る運用はあるものの、新潟へ向かう編成は「ちくま」から「越後」と、長野ー名古屋ー大阪ー金沢ー新潟と、完全に電化路線で運用されていました。これは急行「赤倉」の節でも述べましたが、中央西線が電化された頃は既に急行型電車の増備が終わっており、特急格上げ以外代替の車両が居なかったというのが原因になります。しかし1978年には宮原の167系が修学旅行用任務を解かれ急行に進出したことと、「ゆのくに」についても特急「雷鳥」に格上げされたことにより気動車「ちくま」は廃止されました。そしてこの時長野にいたキハ57が四国へ転じて当時の指定席車に使用されたのは有名な話です。

 

それでは編成を見てみましょう。

 

急行「ちくま」:<キハ57 18+<キハ65 503+キハ57 36>+<キハ65 511+キロ27 7+キハ58 404>+<キハ57 20+キロ28 58+キハ28 2510+キハ57 9>+<キハ28 2386+キハ58 563>

 

1号車<キハ57 18

↑この急行の特徴であるキハ57です。車体はキハ58 0番台冷房車と同一で台車がキハ80系と同じDT31系台車になります。したがってスターターセットのキハ58 303のAssyパーツと80系台車を組み合わせると比較的お手軽に再現できますが、Assyパーツが手に入りません。

 

2号車 キハ65 503

↑キハ65の500番台です。0番台との大きな違いはシャッター式タイフォンでしょう。逆にそれ以外は大きな違いはありません。Tomixさんの製品から持って来ようとすると、急行「アルプス」セット、「のりくら」セット、「きのくに」セットから抜き出してくる必要があり非常に高価なため、KATOさん単品のタイフォンを寒冷地向けに交換する方がお手軽です。キハ65・タイフォンパーツ共に市中でもよく見かけます。

 

3号車 キハ57 36

↑1号車と同仕様で特に留意点はありません。

 

4号車 キハ65 511

↑2号車と同じく500番台のキハ65です。500番台は、501~507と、508~518で正面KE53ジャンパ栓納めの位置が異なっていました。模型はTomixさんKATOさん共に501~507の位置ですので、気になる方はパーツを取り付ける際にずらすと良いでしょう。

 

5号車 キロ27 7

↑目玉の1つであるキロ27です。車体関係は「由布」セットに入っている0番台冷房キロ28と同仕様で、台車がDT31系になっています。よって現行品でも再現することは可能です。Tomixから出ているキハ57セットのキロ27を一生懸命冷房化するという手もありますが、妻面のジャンパケーブル追加と床下の4DQ-11P追加がハードル高そうです。4VKの床下を加工して、イラストのような防護板を付けてしまえば比較的簡単かもしれません。

 

6号車 キハ58 404

↑長野には18両のキハ57がいましたが、この「ちくま」運用では15両必要となり、予備や急行「野沢」のためにキハ58も6両在籍していました。このキハ58が編成に混じった想定です。もちろんキハ57を選択しても良いでしょう。このキハ58は「アルプス」セットのキハ58と同仕様になりますので、ここから抜き出してくると早いです。しかし「アルプス」セットはプレミア価格ですが。。。

 

7号車 キハ57 20

↑1・3号車のキハ57と同仕様になります。

 

8号車 キロ28 58

↑キロ27は7両製造され長野にいましたが、「ちくま」の運用では6両使用するため、予備車確保のためこのキロ28 58が1両いました。この車が編成に混じった想定です。キロ27と同じく「由布」セットのキロ28と同仕様ですのでそのまま使えます。また、KATOの旧製品キロ28もこの仕様です。KATOの旧製品は現行品と比べると特に正面窓周りやカプラー周りで見劣りがしましたがキロについては少し手を加えればまだまだ使えるような気もします。

 

9号車 キハ28 2510

↑長野には1968年当時、アルプス減便で松本を追われたキロ58が2両在籍しており、これの冷房化のためキハ28 2500番台が長野にも新製投入されました。その後急行「きそ」の電車化・減便によりキロ58は名古屋・美濃太田へ転じますが、このキハ28 2500番台は「ちくま」の普通車冷房化のため長野に残留しました。したがって「アルプス」セットのキハ28と同仕様になります。

 

10号車 キハ57 9

↑最後に目玉車両を入れてみました。キハ57の1次車で、ヘッドライトが左右中心寄りに100ミリずつ寄った初期車のグループです。正面の印象はかなり違います。しかし本当に再現しようとするとヘッドライトユニットまで手を加えなければならないので、製品化・模型化のハードルは意外と高そうです。

 

11号車 キハ28 2386

↑11・12号車は宮原担当車でした。この2両はオーソドックスな400番台中期車でKATO・Tomix共に単品で発売しているモデルですので特にコメントはありません。宮原は1970年代後半より汚物処理装置の取り付けが行われましたが、急行「ちくま」が存在していた時に同車に同装置が付いていたかどうかは不明です。お好みで付けると変化が出て良いでしょう。

 

12号車 キハ58 563

↑11号車と同じコメントです。あと、宮原のキハ58はこの急行「ちくま」「ゆのくに」で先頭に立ち、松本や七尾線方面へ向かうためスノープロウを付けていました。元宮原車はこのスノープロウが廃車まで残っていた車が多く、急行「ちくま」「ゆのくに」の名残でしたがそれを知っている方は少なかったことでしょう。一方長野のキハ57・58は北陸本線・信越本線を新潟まで走破し、また長野近辺では豪雪で有名な飯山線にも入るのに、スノープロウは取り付けられませんでした。またタイフォンカバーも長野はことごとく暖地向けスリット状カバーでした。シャッター式の車が転入してもスリット状カバーに交換してしまうくらいでした。タイフォンの雪詰まりに神経質で新しいタイフォンカバー形状を編み出していた新潟区とは大違いです。

 

いかがでしょうか。TomixさんやKATOさんからこんな編成が出たら楽しいでしょうね。どちらかというとKATOさんの方がモデル化する可能性の高い印象です。まあ望み薄でしょうが。しかし編成各車紹介でも書きましたが現行品やセット物から再現することは可能ですので、今からでも再現することは出来るでしょう。しかし今やプレミア物の「アルプス」セットや「由布」セットなどをばらしたり、同じく品薄なAssyパーツをかき集めなければならないのでハードルは高いし、何よりお財布に厳しいですね。。。

 

このような状況を見ていると、そろそろ400番台の0番台化改造などを試みてコストダウンが必要と感じています。ドア下部の丸窓を埋めて、運転席側窓のバランサー点検蓋を埋めて平滑にすれば0番台になります。これはパテと瞬接とヤスリがあればできますので、高価な品薄モデルを漁るよりははるかに安価に済みそうです。同じく400番台の最終ロット車も、便所窓を他から持ってきた横長のものに改造すれば再現できます。昔々20年以上前は、ジャンク品の12系・14系・24系客車を手に入れてこれの便所窓を移設するといった改造を良く行っていました。特に寝台車はこの窓がいっぱい付いていましたので、1両の寝台車からキハ3両分は取れました。

 

いかがでしょうか。キハ57系を中心に12両も連なり中央西線や北陸本線を爆走していたなんてすごいですね。今こんなのが走っていたらえらいことになりそうです。これを追っかけ長野から大阪経由で新潟まで行ったら、尻や腰が痛くなりそうですね。上記にも書きましたが現行品から手を加えたりして再現することもできますから、我慢できない方は改造などにチャレンジされてはいかがでしょうか? と言って自分が我慢できないかもしれません。。。

 

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