こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

模型活動の方は、もう歳ですし完成品で発売されているモデルを色挿し程度で楽しもうと思って集めていましたが、最近は自分でブログを描いて自分でそれをやりたくなるという悪?循環に陥っています。いろいろ気になりだすとキリがないんですが、ネットで調べてみると色んなパーツ類が発売されており、ディテールアップに使えそうです。そんなわけで週末はパーツ類の検索&発注に勤しんでいました。よってモデルのお手入れはお休みです。

 

そんなわけで今日は簡単に房総急行の事について簡単にお話してみたいと思います。

 

東京都心に1970年代中盤まで乗り入れていたキハ58系と言えば、

 

1.1975年まで乗り入れた中央東線の急行「アルプス」

2.1982年まで乗り入れた東北本線急行「ざおう」「いいで」「出羽」「おが」

3.1985年まで乗り入れた常磐線急行「ときわ」「奥久慈」

そして

4.1975年まで乗り入れた総武本線急行「犬吠」「鹿島」

 

が思い浮かびます。

 

この中で、房総急行は地味で目立たない存在でしたが、模型化した話もあまり聞きません。なぜなら・・・、その編成に問題があります。1972年の外房内房全線電化後は、総武本線の急行「犬吠」「鹿島」で活躍をしていました。両国を超えて新宿まで乗り入れていた列車もあり、長大編成を組み、迫力もあったのですが、なぜでしょう。ではその編成を見てみましょう。

 

10連の例:<キハ28+キハ28+キハ28+キハ28+キハ28>+<キハ28+キハ28+キハ28>+<キハ28+キハ28>

8連の例:<キハ28+キロ28+キハ28+キハ28+キハ28>+<キハ28+キハ28+キハ28>

 

あらまぁ、見事にキハ28だらけの編成です。キロ28についても2両配置の1両使用でしたので連結列車は限られていました。皆様ご存じの通りTomixさんもKATOさんも動力車はキハ58です。よって動力ユニットに手を加えないとこの編成を走らせることは出来ません。これは、房総地区は比較的平坦路線が多く、強力型のキハ58を必要としなかったためです。そのため借り入れ等を除くとキハ58は継続して配置されたのは、105番だけでした。

 

ちなみに廃止直前の千葉気動車区のキハ28は全車冷房車、モデルチェンジ車はいませんでしたし、便所窓が横長長方形になった平窓最終次車もいません。キハ28ばかりであるため全車に3両給電用の4VK冷房発電装置を取り付ける必要が無いため、若番車を中心に約3分の1は冷房発電機を搭載しない車でした。しかし違いは床下と側面の小さな吸気口、端面の配電盤の大きさと非常に地味です。まあ気になる人には気になりますが。比較的形態的にはおとなしい車両が多かった印象です。よってモデル化するにもちょっと面白みに欠けるのかもしれませんね。

 

ただし、千葉では編成にキハ26が混じるケースがありましたので、動力ユニット付きのキハ26を入れてなんとか動かす方法もありますが、キハ58系で揃った編成美を楽しむことは出来ませんね。

 

有名な話ですが、千葉では1970年より電車に準じた小型のヘッドマークを貫通扉に掲示するようになり、そのためのヘッドマークスティが貫通扉に取り付けられました。これは夏季海水浴輸送で各地から借り入れ(車籍上は転属になっていますが)された車にもことごとく取り付けられました。そのため房総地区での活躍が終わり全国に散らばった後も、このヘッドマークスティが元房総地区配置歴を物語っていました。

 

↑急行「能登路」の2093。晩年急行色に塗り戻された2119も付けていました。

 

↑ちょっと小さいですが、高岡の2120です。2127にも付いていました。

 

↑姫路の5511(元2177)です。同区では5505(元2091)、5510(元2169)にも付いていました。

 

↑伊勢の2340です。兄弟の2341にも付いていました。

 

↑小浜線の2447です。兄弟の2448にも元々付いていましたが、晩年は腐食で撤去されました。

 

↑米子の2479です。のちに津山に転じた2480を含め、2479~2482までの4両に付いていました。

 

↑敦賀の急行「わかさ」用キハ58 237です。房総地区は前述の通り平坦路線でほぼキハ28のみの配置でしたが、夏季輸送で各地から車両を借り入れる際には車両繰りの関係からキハ58が貸し出されるケースがありました。当車も1971年度の夏季輸送時に兄弟の238と共に金沢から千葉に一時転属しています。そのため、キハ58では十数両しか存在しなかった千葉ヘッドマークスティ取付車となります。この姿で1999年10月の急行「わかさ」廃止まで活躍しました。ヘッドマークステイを使ったのは2か月ほどなのに、その後28年間もそのままであったことになります。


千葉のヘッドマークステイに付いては別の機会にまたご紹介したいと思います。

 

という訳で、なかなか模型化のハードルが高い房総急行。まさかTomixさんやKATOさんが専用動力ユニットを作ってまで模型化するなんてことはありえませんよね。

 

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