こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

シンガポールはこの週末天気が悪く、外出もできませんでしたのでホームページの更新がはかどりました。本日は昨日に引き続き1986年度に廃車になったキハ58形の公開の続きを行いましたが、一挙41両のアップロードとなりました。これで1986年度に廃車になったキハ58系の公開は完了です。明日以降は1985年度に廃車になった車両の公開に移ります。

 

本日は41両も公開してしまったので、1両を選ぶのは難しいですが、国鉄時代に事故以外で老朽廃車されたキハ58形のうち、最も車齢の若かったキハ58 612をご紹介したいと思います。

 

当車は兄弟の611と共に山形に新製配置され、国鉄末期の「57-11改正」まで揃って幹線急行の「ざおう」や「出羽」のほか、支線急行の「月山」「もがみ」「あさひ」等で活躍したが、同改正後では急行の大幅削減が行われ、当612は遠く熊本へ旅立った。熊本ではそれまで冷房車で統一されていたところへまとまった数の非冷房車が転入したが、もちろん非冷房車はキハ55の置き換えとして豊肥本線や高森線の普通列車として使用された。しかし冬季には冷房を使用しないことから冷房車に混じって急行「えびの」で活躍することも稀にあった。同時期に熊本では37・132・156・283・529・550・612・814・816の9両もの非冷房キハ58が転入した。しかし「59-2改正」では急行「えびの」は大幅に減車され、それまで7両編成であったのが4~5両となった。そのため熊本生え抜きの後期冷房車が普通列車にも進出するようになり非冷房車は早くも余剰が出始めた。この際車齢の高い37・132・156・814・816は廃車されたが、283・529・550は松山や広島へ転属し、当612のみが残った。また同時期に人吉から非冷房の496が転入し、熊本の非冷房車はこの496と612の2両体制となった。しかし国鉄末期には勾配線用にキハ31が投入されると非冷房キハ58は淘汰の対象となり、JRへ継承されず496と共に1987年3月30日付で廃車となった。9次車と、当時のキハ58系では若い方ではあったが、非冷房のまま熊本に残ってしまったのが運の尽きであった。これで熊本のキハ58は冷房車で統一されたと思いきや、JR化後には再び非冷房のキハ58 488、790、798が転入しており、なかなか非冷房車の淘汰は進まなかった。

 

↑キハ58 612

非冷房車で、土崎工場タイプの前面補強、秋田局管内標準の正面窓手すり位置、山形に多かったテールライトの外ばめ式改造で、山形時代の名残を残しているが、スノープロウは取り外されタイフォンカバーもシャッター無しであり、更に熊本地区特有の灰色の貫通扉渡り板となっており、両地区の特徴がミックスされていた。列車無線アンテナまで装備しJRへ継承されると思いきや、直前の1987年3月30日で廃車になってしまった不運な車両。国鉄のままであったら再度東北地区に転属したことでしょうね。

 

次回からは1985年度に廃車になったキハ58系の公開を始めたいと思います。皆様お楽しみに。

 

 

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