こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

私の「神のホームページ」への訪問者数が1000名を突破いたしました。殆ど私の趣味本位のウェブサイトではありますが、当ブログと合わせ皆様のご訪問に大変感謝しております。また、今日もホームページの更新を行いまして、キハ58系のイラスト公開両数が1400両を突破いたしました。この調子でゆくと2019年中にキハ58系で形態判別済車両全車の公開が終わってしまうかなーなんて思っている今日この頃です。その後はキハ58系の特に形態にまつわる色々な情報を公開できればと思っております。

 

このままではちょっと寂しいので本日公開した車両の中から1両ご紹介します。後期車になるとだんだん平凡な車両が多くなってくるので1両を選ぶのが大変ですが、今日はキハ58 168を選びました。

 

この車は、同一ロット他の仲間である168~173共に和歌山に縁の深い車両でした。1970年代から1980年代初頭にかけて和歌山に配置されておりましたが、1980年10月のダイヤ改正で紀勢本線に381系電車が増備されると急行「きのくに」が減便され、和歌山のキハ58系の所要数が減少しました。丁度その頃新潟地区では急行の冷房化を要望しており、和歌山からはキハ58 113、155、168、170、172、446が新潟へ転属しました。新潟では急行「羽越」「いいで」「うおの」「あさひ」等で活躍を開始しましたが、転属後2年足らずの1982年11月15日のいわゆる「57-11改正」では、東北・上越新幹線開業に伴い東北地区では急行の大幅整理が行われ、活躍の場は急行「べにばな」快速「あがの」と縮小されました。しかしその後も縮小は進み、「60-3改正」では急行「べにばな」は仙台乗り入れが無くなり山形止まりとなり、快速「あがの」も福島直通が無くなり郡山・会津若松止まりとなります。そのため車齢の高い冷房車は結局長生きせず大半が廃車となりましたが、一部は山形へ転属し同区の更に若番車を置き換えることとなりました。前述の和歌山から新潟へ転属したグループからは、155、168、172が山形へ転属しました。山形では、急行「月山」「もがみ」で活躍しましたが、国鉄最後の「61-11改正」では急行「もがみ」の廃止及び「月山」の6両編成の廃止により山形の急行運用は激減し、当車は廃車となりました。兄弟の172は、幸運にも生き残り更にJR化後は車両更新を受け快速「月山」として1999年まで活躍したのとは対照的でした。

 

 

↑キハ58 168

前面補強板の形状、運転席窓下の手すり、放送用ジャンパ線納めの位置などが和歌山時代の特徴で、更に運転席・助手席側両側に設置されたデフロスタ、正面では分かりづらいが竹槍状のタイフォンカバー、単線型スノープロウが新潟時代の特徴と、転属の変遷をそのまま表した顔つきであった。

 

↑オマケでキハ58 172

和歌山から新潟、更に山形と168と同じ人生を歩んだが、JRへ継承されたあと快速「月山」用に更新を受け1999年まで生き延びた幸運な車両。運転席窓下の手すりに和歌山時代の名残があるものの、それ以外は上記168との相違点も多い。

 

私のホームーページ

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

も併せてご覧ください。