こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

昨日に続き、ホームページの方で1986年度廃車のキハ58形のイラスト公開を行いました。今日は会社事務所のインターネットの調子が悪く仕事をする気が失せ、早く帰ったので思いのほか更新が進みました。

 

昨日の続きで、キハ58の110~130番台をアップロードしました。100番以降になると1次車・2次車のようなたらい回しの転属は少なくなり、形態も比較的落ち着いてきています。今日はこのうち133と136を紹介したいと思います。

 

1962年4月26日と5月4日付で、日本車輌で132~136が新製され小郡へ配置されています。これらは揃って西山陰から美祢線や山口線を経由して北九州へ向かう急行で使用されました。のちの急行「あきよし」です。このグループは、途中需給の関係で136が同局内の岩国へ転属したものの、国鉄末期まで移動の無いグループでした。1982年の時点で、132~135が小郡、136が岩国配置となっています。その後「57-11改正」以降バラバラになり始め、132は小郡では少数の非冷房のまま残ってしまった車両で、「57-11改正」でキハ55置き換えのため熊本へ転属し、その後熊本では「59-2改正」で急行の短縮により余剰車が発生すると1984年にあっさりと廃車になってしまいました。133は冷房車ながら132と同じく熊本へ転属し、キハ55に代わり普通列車の他、急行「えびの」でも活躍しましたが、JRには継承されず1987年に廃車になっています。134は転属なく小郡で活躍しましたが、詳細は不明ながら1984年に災害に巻き込まれ事故廃車されています。135は小郡配置のままJRへ継承されましたが、後に言わずと知れた「フェスタ」に改造されました。136は1970年に岩国に転属した後、1983年3月に広島・岩国・亀山の3区で車両の交換があり、当車は亀山に移動しました。そしてJRへ継承されず廃車となりましたが、部品取りとして有田鉄道へ譲渡されています。では今回アップロードした133と136を見てみましょう。

 

↑キハ58 133

オーソドックスな広島局管内の形態であるが、これが熊本に転属し急行「えびの」で活躍したというのが興味深い。特徴は少ないが、貫通扉渡り板が熊本標準でグレーに塗られ、白ペンキでナンバーが書いてあるのが目立つ。また正面では分からないが、側面には中央部窓下にサボ挿しが設けられており、広島局管内の特徴であった。

 

 

↑キハ58 136

国鉄末期には広島地区から亀山へ移動した仲間も多く、当車もこれだけではとりたてて特徴は無いが、国鉄末期に亀山で廃車後、有田鉄道へ部品取りとして譲渡され、一時姿をくらましたと思ったら1992年頃に本線上を走っていたという記録があるから驚きである。しかも私鉄線内のみをひっそり走っているならまだしも、紀勢本線藤波駅から湯浅駅までJR西日本の線路に乗り入れていたというから、びっくりである。小郡時代の顔のまま、方向幕に「金屋口」とか「湯浅」と表示し走っている姿は非常に興味深いが詳細は不明である。

 

 

↑オマケで紹介済みのキハ58 135(後のキロ59 553)

同一ロットの兄弟であるが、同じキハ58系とは思えない豹変ぶり。

 

次回は140番以降を公開できるかと思います。皆様お楽しみに。

 

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