こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

本日からホームページでは1986年度に廃車となったキハ58の公開を再開いたしました。ホームページ公開開始した当初はキハ58の公開のみを進め、JRに継承された分のキハ58公開を終えた時点で他の形式の公開を始めました。そのためキハ58形の公開は2019年4月15日以来5か月ぶりとなりました。

 

キハ58はキハ28に比べると2ケタ車のJR継承率は非常に少なく、多くは国鉄末期に廃車となっています。今回は6~31までの公開となっています。キハ58の若番車は、400番台以降の長大編成対応車の増備により1970年頃まで各地をたらい回し状態で転属しており、それ以降も四国・九州車はキハ65の増備で転出が相次ぎました。国鉄末期の変革の時期にも、若番車は優先的に普通列車用に他区へ回されるケースが多く、特に2次車まで(1~70)は、転属歴のない車両は無く、10回以上転属している車両も多数という状況でした。したがって形態の変化もバラエティーに富んでおり、また車齢が高い割に冷房化率は高く、更に1980年前後からキハ58系に対して施工された更新・延命メニューが、一部はその車齢・余命から施工されなかったりと、調査研究対象としては非常に興味深いグループです。

 

同一ロットの兄弟を見ても、各地を転々とし兄弟離れ離れになるケースが非常に多く、同一日に同一区に連番で新製配置された仲間も末期には配置区もバラバラ、形態もそれぞれ個性派というケースも珍しくありません。

 

そんな本日の公開車両のうち、最若番の6番をご紹介しましょう。

 

どんな形式もトップナンバーの「1番」は非常に注目され、資料・記録もそれなりに残っていますが、それ以降の2とか3とか6なんていうのは廃車時期も早く、探し出すのが非常に難しいです。この「6」も、その1次車の特徴を隠し切れない形態から「6」と判明したものでした。6は1970年代以降長く四国に居り、1978年の四国へのキハ57転入の玉突きで七尾へやって来たグループでした。そのため四国の特徴と七尾の特徴、1次車の特徴の3つがミックスされた車でした。四国及び七尾で1次車は6しかいないため、必然的に6に決まるという訳です。

 

 

↑キハ58 6。 金沢駅で目撃された当車ですが、1次車特有の正面窓下の短い手すりや中央に寄った通風口、四国名残の放送用ジャンパ受栓が「俺は6だ!!」と主張しているようでした。高齢車で余命が短いと判断されたのか、前面補強は施工されませんでした。

 

たとえ貫通扉渡板の車番表記が汚れて読めなくても、容易に「6」と判別できる例ですね。

 

次は33から50番くらいまでを週末にはアップロードしたいなと思っています。

 

私のホームーページ

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

も併せてご覧ください。