こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

昨夜、ホームページのキハ58系のコンテンツを更新しました。昨日は1986年度で廃車になったキロ28・キハ28・キユ25をアップロードしました。更新した時間が深夜で疲れていたのでブログの更新が後回しになってしまいました。

 

アップロードした両数はあまり多くはありませんが、特徴のある車両が多く見どころは満載です。

 

昨日アップロードした車両のうち、キユ25をピックアップして当ブログで取り上げてみたいと思います。

 

キユ25は、道路事情のあまりよくない四国で郵便輸送を行うために新製された郵便気動車です。郵政省所有の郵便気動車というカテゴリーは当形式のみでした。郵政省所有の郵便車は主に客車が充当、一部電車区間用にクモユ141・クモユ143が新製されましたが、普通列車・優等列車の気動車化が進んでいた四国では気動車で新製されました。1エンジン車片運転台であることから「25」という形式番号が割り振られましたが、急行に併結することを考慮し、キハ28に準じて設計・製造されました。そのため、郵便車では唯一広幅車体を持つ車になりました。これは14系に準じたオユ14などが車体は狭幅の10系の設計のままであったのとは対照的です。

 

キユ25はキハ58系類似の車体とはいえ唯一の郵便車であり、形態は特徴が満載でした。1965年に登場した1と2は、キハ28平窓車類似ながら、新製時から冷房車のためキロ28の新製冷房車に準じ屋根高さが100㎜低いという特徴がありました。そのため微妙に平べったい印象があり遠目にもキユ25であるとすぐ判別できました。また、冷房車ながら他車へ冷房電源を供給する必要が無いため自車給電用の4DQ-11Pを搭載し、冷房電源・制御用のジャンパ線も装備しないという特徴を持った車でした。側面は郵便車であるため一般車とは全く異なる形態でした。

 

1971年増備の3と4はモデルチェンジ車に準じて制作されたため、平窓車なのに背の低い1と2ほどのインパクトはありませんでしたが、色々特徴はありました。もともと1と2が新製冷房車で製造されたことから、3と4は顔以外は1・2とあまり変化はありません。キハ58系は1969年に完全モデルチェンジされキハ65に準じた車体断面のキロ28が製作されましたが、当キユ25は以前の張り上げ屋根車体のままです。また1969年製造のキロ28を持って国鉄の新製車でDMH17系エンジンを装備するのは最後で以降DML30、DMF15系エンジンへ移行しましたが、1971年製造ながら当車はDMH17系エンジンで製造されています。また、床下の接触器箱・蓄電池箱の形状が平窓車のものと同一で、モデルチェンジ車の顔をしているのに奇妙な存在でした。唯一大きな変更点は、1・2が装備していた配電盤用のガラベンが無くなり換気扇に変わりました。

 

これらは急行のみならず普通列車や気動車荷物列車に併結され四国を駆け巡りましたが、国鉄末期に郵便車を使用する鉄道郵便輸送は廃止され、1986年6月6日付で全車廃車になりました。3・4は新製後15年で少々もったいない気もしましたが、客車では新製後4~5年で廃車になったケースも多く、まあ良く使われた方でしょう。

 

↑平窓車ながら屋根が低く、潰れたような印象のある1・2

 

↑モデルチェンジ車になりおとなしくなった3・4

 

現在次のホームページ更新として、1986年度に廃車になったキハ58を準備しておりますが、140両近くもあり時間がかかると思いますので、ブログの更新は昨日アップロードした車両の紹介を続けることになると思います。キハ58の公開は、両数が多いため、十数両ごとに分割し数回に分けて更新することになると思います。次回更新は2~3日後になるでしょうか。

 

引き続きキハ58系の形態については調査を続けております。もしキハ58の写真や情報をお持ちでしたらご教示いただけると幸いです。今後ともよろしくお願いします。