こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

本日、ホームページのキハ58系のコンテンツを更新しました。本日は、1987年1月~3月に廃車となったキハ28とキハ57のイラストをアップロードいたしました。前回の更新から3日空いてしまいましたが、一挙33両の公開となります。これで公開両数1293両となり1300両も目前となりました。

 

今回から国鉄時代に廃車となったキハ28の公開を始めていますが、キハ58に比べ形態、特に前面形状の確認がされている車両は非常に少ないとうのが現状です。JR化後は普通列車で活躍する機会が大半で、しかもローカル線では2両単位の運用が多く、<キハ58 キハ28>という組成が多く顔を拝むことは容易でしたが、国鉄時代は急行で使用される車両が依然として多く、長大編成を組む場合は概ね下記のような編成が多く見られました。

 

<キハ58 <キハ28 キロ28 キハ58>

<キハ58 <キハ28 キハ58>

<キハ58 <キハ28 キロ28 キハ58>+<キハ28 キハ58>

<キハ58 <キハ28 キロ28 キハ58>+<キハ58 <キハ28 キハ58>

<キハ58 <キハ28 <キハ28 キハ58>

<キハ58 キハ28> <キハ28 キハ58>

など。

 

そのためキハ28の情報が圧倒的に不足しています。皆様の情報を頂けると幸いです。

 

キハ57については、前述と反対に先頭に出る機会が多いため比較的情報は豊富でした。特に四国では指定席車として先頭に立つ機会が多く、しかも当時から信越流れのディスクブレーキ車ということで四国では人気でした。またヘッドマークを終始取り付けていたのも記録として多く残されている一因でもありました。興味深いのは、異端車であり初期車でもあるキハ57は国鉄末期の「61-11改正」で優先的に淘汰されましたが、19番と22番はなぜかJRへ継承され1992年まで在籍したという点です。キハ58の形態や用途・転配にはある程度特徴というかルールがありましたが、中にはそのルール破りの車両がいる点が、その調査研究を難しくしている一方、一筋縄ではいかない面白さを兼ねていました。

 

今回アップロードの車両から1両。

 

↑高松のキハ57 9

 

1次車は登場形式毎に形態が微妙に異なり、キハ57の1次車は標準車に比べ中央に寄った前照灯が特徴でした。標準車を見慣れているとちょっと間抜けな雰囲気もありますが、このつぶらな瞳を見ると溶けてしまいそうです。

 

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