皆さん、こんにちは。令和へ改元されて1か月ほど経過し、令和の名前も人口に膾炙されて落ち着いてきたようです。10連休が始まり、令和の名前の典拠とされます日本最古の歌集「万葉集」におさめられた梅花の歌三十二首の序文が起草されたとされます太宰府市の坂本にあります坂本八幡神社に行ってきました。現地を訪れる方々の数も少なくなっただろうと予想して出かけましたが、どうしてどうして、100人近い方々が列をなして参拝の順番待ちをされていて大変な賑わいでした。まずは、坂本八幡神社の様子。

前回ブログへアップロードした際には大勢の人出にぎわっておりましたので日を改めて、5月末近くにお詣りをいたしましたが、さすがに人の数も減っておりました。神宮の全景も撮ることができました。おまけに御朱印も頂戴できましたのでブログ末尾にご紹介いたしておきます。社の内部の様子、新元号決定直後ですから紅白の幕が張られております。



往時の形のままかどうかはわかりませんが往時をしのぶには十分でした。ここで歌を詠んだのかなーと想像するだけでワクワクします。ちなみに梅花の歌32首の序文には、以下の様に記されていて、
梅林の梅の木の様子です。
「初春の令月にして(しょしゅんのれいげつにして)
気淑く風和らぎ(きよくかぜやわらぎ)
梅は鏡前の粉を披き(うめはきょうぜんのこをひらき)
蘭は珮後の香を薫ず(らんははいごのこうをくんず)
とあり、この文言を引用したものとされます。
当時は日本文化は、中国文化の影響が大きく、特に漢詩が重用されていたことから、漢詩に長じた旅人が王義之の書で有名な蘭亭序をひな型にして、序を書いたのではないかとも推察されています。八幡神社の入り口脇には、令和、坂本八幡宮の文字を見ることができます。

八幡宮の場所は、太宰府政庁跡の西側端に小川があり川の流れに沿った形で人道が設けられているので、その道を北へ向かって500m程歩けば八幡神社に至ります。参詣人の様子。

ちなみに道路標識もすでに用意されています。

ご興味のある方は、ぜひ訪れてみては如何でしょうか。政庁跡のバス停(コミュニティーバス、または高速バス)からすぐになり
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さて、新たに頂戴しました御朱印です。

坂本八幡宮の縁起については、案内板に紹介されていましたので、その案内によれば、811年ごろに坂本村に建立されていた天台宗の寺院善正寺が始まりの様で(当時は天台宗の寺院では、境内に八幡宮を祀る形がとられていた模様)、戦国時代(1532~1557)頃には八幡宮の勧請が行われたものの、このころに寺院が廃れ、当時村落を形作りつつあった坂本村の鎮守として神社が再興されたものと考えられています。したがって梅花の宴の話は約1300年程以前のことではありますが、八幡宮の縁起は、比較的新しく700年程前に当たる様です。