文藝春秋 平成8年 1996年 9月特別号


美智子皇后の「憲法をありがとう」

終戦直後、GHQ民政局で憲法草案作成に携わった米国人女性と皇后陛下の知られざる交流


ベアテ・シロタ・ゴードン(元GHQ民政スタッフ)

取材・構成 梶山寿子


その2よりつづく


文藝春秋5

 東京で開かれたアジア・ソサエティの理事会に、皇太子ご夫妻(当時)が出席されたのは、やはり八七年のことでした。

 そのパーティの席での皇太子殿下のスピーチを英語に通訳するという大役を、当日突然私は仰せつかったのです。私は、

「難しいお言葉を使われると、私には分からないので」

 と固辞しようとしたのですが、周囲の人たちが、

「短く挨拶されるだけです。すぐ終わりますし、大丈夫ですよ」

 と言うので、不承不承引き受けてしまったのです。

 皇太子殿下のスピーチを通訳するのですから、事前に内容をお尋ねするわけにもいかない。不安を抱えたまま、その時は来てしまいました。

 殿下のご挨拶が始まりました。ところが、殿下はご気分がよろしかったのか、私の想像以上に長く話されてしまったのです。トルコの大使が出席していたため、殿下はトルコと日本、更にはアジア全体のお話をされていく。実際には五、六分の間であったようですが、私には気が遠くなる程の時間に感じられました。

 実は、焦った私は、殿下がスピーチの中で使われた「コウシ」という言葉を、何のことか分からず、英訳せずに飛ばしてしまったのです。後で出席していたアメリカ人からは「早くて正確な通訳でした」と褒められましたが、英語の分る日本人の方からは、

「なぜコンフューサス(孔子)を訳さなかったのですか」

 と指摘され、顔から火が出るような思いをしたことを覚えています。

 そんな話をしていると、その時私が通訳をしたことを、美智子さまは実によく覚えておられるのです。「孔子」の一件を私はずっと反省していたのですが、なんと驚いたことに、美智子さまは微笑みながらこう仰ったのです。

「あなたはあの時、『小アジア』という言葉を訳されませんでしたね」

 私は、「孔子」の他にも知らない単語を誤魔化していたのでした。それはこの時初めてしったことで、大いに恥じ入ったのですけれど、美智子さまは、

「小アジア、は難しい日本語ですから」

 と慰めて下さって、そしてふたりで声をあげて笑ったのです。

 それにしても、美智子さまの記憶力と英語力は素晴らしい。私はあらためて感嘆しました。


憲法に「ありがとう」


 話は前もってお送りしていた私の自伝のことにも及びました。ご公務でお忙しい美智子さまは、全編は読み通していないが、一部に目を通していただけたということでした。私がGHQ民政局で日本国憲法に「人権」を盛り込むように仕事をしたことを美智子さまはご存知でした。そして、

「ありがたく思っています」

 とおっしゃったのです。具体的なことには触れられませんでしたが、人権について言及されたことだけはハッキリ覚えています。そして、憲法のことには、それ以上触れられませんでした。

 先日亡くなったケーディス大佐を始めとして、当時のスタッフは、日本という国に民主主義を育てようという理想に燃え必死で働いていました。皆、地上に理想国家を建設しようと夢見ていたのです。

 幼い頃から日本の女性が苦しんでいたのを見て育った私には、女性の社会的権利を何とか形にしたいという気持ちが強くありました。女性が幸せにならなければ、日本は平和にならない。そう思い、アメリカの憲法にも見当たらないような「男女平等の明記」を目指したのです。

 結果からすれば、私の書いた案がすべて受け入れられた訳ではありません。ですが、人権を保障する第一四条や二四条には、私の案が多く生かされているのです。

 非嫡出子の権利など、もう少し頑張っていたら、と悔やむことも少なくありませんが、五十年前の私の仕事が、時を経て再び評価され、美智子さまからお言葉をいただけたことを心から光栄に思っています。

 ふと気がつくと、美智子さまとの語らいで、もう一時間十五分という時間を過ごしていました。女官の方が呼びにきたので、これで失礼する時間だな、と思いました。

 私は、

「平和な御代をお祈り申し上げております」

 と、お別れのご挨拶をして、部屋を出ました。ところが驚いたことに、美智子さまは長い廊下を一緒に歩き、ご自身で玄関まで私を送ってくださったのです。そして、控えの間で待っていた棟方志功さんのお孫さんを紹介すると、

「棟方志功さんは素晴らしい芸術家でしたね」

 とお声をかけても下さいました。

 そればかりか、そのまま扉の外に出られて、私たちの車が御所を後にするのをずっと手を振って見送って下さった。そのお姿を振り返り見て、感激のあまり、私はほとんど涙ぐんでしまったのです。

 今回いただいた美智子さまの六十歳の記念写真集には、ご一家で音楽の演奏をしておられる写真がありました。音楽家の家に生まれ、音楽と芸術に囲まれて育った私には、日本の天皇ご一家が古き良き時代のように音楽に親しまれているのを知り、とても嬉しくなりました。

 懐かしい日本。だからといって、私は日本の皇室というものに、自分が格別の思い入れがあるわけではないと思っています。けれど、ひとりの人間として、美智子さまの素晴らしいお人柄に感激し、尊敬の念を抱いているのです。

 今回のお招きは、まさに夢のような出来事でした。これからも大切な思い出として、胸に刻んでいきたいと思っています。


文藝春秋6

終わり