かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾

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あなたが輝く≪表現≫をサポートします!・心身の解放(ゆるめること)・感情の解放
と切り換え・表情トレーニング・身体表現・声の表現・話しかた・聴きかた等々、30年
にわたるワークショップ体験をもとに、あなたオリジナルのセッションを提供します!

かめおかゆみこ  です。

 

今日、初めてこの連載と出会ったかたは、下記の「全目次」

をクリックして、最初から読んでみてくださいね。ウインク 

 

全目次

 

 からだにはたらきかけたほうが早いのです。

 からだにはたらきかけると、ひとつながりである

 こころも、一緒に動き出すからです。

 

ということで、「なんちゃってフラダンス」と、
「伸び~、猫伸び」のご紹介をさせていただきました。

 

で、今日の「からだ」提案は、こちら。

 

 

 

昨日は、思いきりからだをひらく動きをやってみましたが、
今日は、その、おおきく広げた手を、ぎゅっと、
自分をハグするために使ってみましょう。
セルフハグです。

最近は、日本人もずいぶん、ハグをするのに慣れてきた
ようです。(私のまわりだけ?)(笑)

子どものころ、みぢかなおとなに
抱っこしてもらった記憶のあるひとも多いでしょう。
誰かに包みこまれる心地よさは、
シンプルにうれしいものです。

そして、実は、脳は、他人と自分の区別がつきません。
ひとにハグしてもらうのもうれしいけれど、自分で自分を
ハグするのも、なかなか心地いいものなのです。

ポイントは、大切なものを包みこむような気持ちで、
自分を抱きしめてみることです。
やさしくやさしく、そっと…ね。

照れちゃうひとは、目をつぶってやってみてください。
視覚を遮断すると、素直に、自分の感覚に
意識を向けられますからね。

自分で自分をハグしても、
やっぱりぬくもりは伝わってきます。
じんわりと伝わってくるその感覚を味わってください。

感情が湧いてきたら、抑える必要はありません。
その感情もそのまま味わってください。


そして、可能そうでしたら、次のステップ。

 
目を閉じて、ハグしたまま、ちいさくそっと、
自分に語りかけてみてください。
何を? 自分が言ってほしいことばを、です。

こころのなかでつぶやくだけでもいいのですが、できれば、
ちいさくていいので、声に出すことがオススメです。

「声」もまた、「からだ」の一部だからです。からだを
とおしたはたらきかけは、ダイレクトに自分に届きます。

「自分に、どんな声をかけていいかわからない」
そんなひともいるかもしれません。

そんな場合は、まずは、定番で、
「大丈夫」「OK、OK」
「そのまま(ありのまま)でいいよ」あたりでしょうか。

ひとによっては、「いつもがんばってるね」
「ありがとう」なんてことばも、ありかもしれません。

私のワークでは、この「声かけ」を、よく、
グループワークとしておこなっています。
他のメンバーに、自分のほしいことばを伝えて、
そのことばを、投げかけてもらうんです。

それでも、充分にパワーになるのですが、
さらに、自分のほしいことばを、自分にかけて
あげられるようになったら、最強ですよね。
自分が自分の応援団になれるのですから。

「自己否定」を自認するひとにとっては、
ちょっとハードルが高めかもしれませんが、
よかったらためしてみてください。
 
いま、自分をどれだけ受け入れているか、
のバロメーターになるかもしれませんから。
 
 

 

 

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全目次

 

 からだにはたらきかけたほうが早いのです。

 からだにはたらきかけると、ひとつながりである

 こころも、一緒に動き出すからです。

 

ということで、昨日は、「なんちゃってフラダンス」
のご紹介をさせていただきました。

 

で、今日の「からだ」提案は、こちら。

 

 

 

はい。なんてことのない「伸び~」です♪
お金、必要ありません。体力、必要ありません。
根性、必要ありません。感性、必要ありません。

 

ただ、寝っ転がって両手足を思いきり広げて、

「伸び~」するだけ!

ちょっとお行儀は悪いかもですが、気になるなら

ひとりのとき(or場所)でやってください。
ふだん、案外、こういうかっこうって、

していないと思いませんか?

夜、眠るときも、両手両足をちぢめていたりする

ひとも、けっこう多いです。
(ちなみに、私は、大の字×バンザイ姿で寝る派)爆  笑

こころとからだはひとつながり。
ちぢこまった姿勢でいると、こころも閉じやすくなるのです。

 

 

なので、ときには、こんなふうに思い切って、「伸び~!」音譜
理屈抜きで気持ちいいですよ。

 

ポイントは、両手両足を、指先まで最大限に伸ばすこと。
こんなふうに開放すると、胸もひらきますから、

呼吸がしやすくなります。


脇の下とか股関節とか、ふだんあまりひらくことのない場所も、

「お~、風通しいいぞ~」と、イイ気分になります。
 


外ではなかなかできないかもしれませんが、そんなときは、

「なんちゃって大草原」でいきましょう。
 

目を閉じて、イメージは、花咲き乱れる大草原。
 

草のにおい、花の香りを感じてみてください。

お日さまのあたたかさ、風のさわやかさも感じてみてください。
草原の生きものたちも、「気持ちよさそう~」って、

集まってくるかも?!

ゴキゲン気分が高まってきたら、鼻歌でも歌いましょうか。

ハミングも気持ちいいですね。

「なんちゃって」ですから、「そ~ゆ~気分」で充分。

きちんと正確な表現でなくていいんです。

本人がその気になれれば、ヨシ!ウインク

こんなふうに、こころに、からだに、「気持ちいい」

という感覚をたくさん体験させてあげてください。
 

脳は、現実とイメージの区別がつきません。

私たちは、どこにいても、イメージのちからを使って、

どんな体験でも可能なんです。
 


「伸び~」で、からだがゆるんできたら、

今度は、逆姿勢もためしてみてください。

 

 

思いっきり、「猫伸び」です。
背中が固まっているひとは、ギシギシ言っちゃうかも

しれませんが、それもからだへの心地いい刺激です。
 

これを機会に、「伸び~」と「猫伸び」、

ときどきやってみてください。
何より、固まっているからだがよろこびます。

そしてね。こんな開放姿勢をとっているときって、

けっこう、気持ちも「伸び~」になっているものです。

こころをこころで変えるのではなく、

からだからアプローチしてみる。

 

これもぜひ習慣にしてくださいね!

 

 

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AIちゃんに、「ハワイノビーチでゴキゲンに

フラダンスを踊っている猫」の画像をリクエストしたら、

こんな絵を描いてくれました。
フラダンスに見えるかどうかはビミョーですが。

でも、「ゴキゲン」というところは活かしてもらえたので、よし

としましょう♪ この「ゴキゲン」というのが、ポイントです。

「自己否定」をかかえているひとは、おそらく、あまりこの

「ゴキゲン」な表情をしていないのではないかと思うからです。

ましてや、フラダンスなんて踊っていないかもしれません。

仮に踊っていても、あまり楽しそうではないかもしれません。
ああ、書いているだけで楽しくなくなってきました(笑)。


話を進めます。

私がメルマガやワークショップでいつもお話ししているのは、

「現代人は、アタマでっかちになって、

 からだの存在を忘れている」ということです。

この「からだ」は、単純に物理的な肉体、というだけでなく、

「こころとひとつながり」の「からだ」なのです。

こころとからだは、密接につながっています。

こころが落ちれば、からだも動きが鈍くなります。

からだが固まれば、こころも固まります。

そして、多くのひとは、

こころのモンダイを、こころで解決しようとしますが、

こころは目に見えないので、あつかいづらいのです。

それよりも、からだにはたらきかけたほうが早いのです。

からだにはたらきかけると、ひとつながりである

こころも、一緒に動き出すからです。

というわけで、本日のオススメは、「なんちゃってフラダンス」
いきなり「フラダンスをやってください」と言っても、ほとんど

のひとが動けませんよね。だから、「なんちゃって」です。

椅子にすわったままでいいです。

背もたれにもたれていてもかまいません。
 

その状態で、両手を左右に動かしましょう。イメージは、

波が揺れる「ゆ~らゆ~ら」という感じ。

これも、おおきく広げてやらなくてもかまいません。

ひじを脇につけたまま、ちょこっとの波でかまいません。

その状態で、今度は、つまさきをつけたままでいいので、

足踏みをしてみましょう。

手の動きとリズムをあわせると、なおいいですね。

 

ハイ、これだけ。
なんじゃ、そりゃあ?って思いましたか? 

 

ま、初日ですからね。

要は、「自分には、動けるからだがある」ということを、

思い出してもらうためです。

よかったら、上記のにゃんこのゴキゲンな顔を思い出すか、

見るかしてやると、なお効果的かもしれません。

からだを動かすと、自然に、交感神経にスイッチが入ります。

「動かなきゃ」と、こころで思っても、なかなか

動きだせませんが、こころのほうはほっといて、物理的に

からだを動かすだけで、スイッチは入りやすくなるんです。

調子づいて、立ち上がって踊り出してもいいし、そのまま、

掃除でも茶わん洗いなんかを、はじめてもいいです。
 

ネットで、ハワイアンの音源をさがして、

それを流しながらやると、さらに調子が出るかも。

というわけで、今日のポイントは、

「ほんのちょっと、からだに刺激を」です。

 

いきなりがんばろうとすると、長つづきしませんから、

ほんのちょっとからでいいんです。

ひとは、基本的に、快原則で動きます。

「心地いい」「楽しい」「わくわく」という気持ちに

なると、言われなくたって勝手に動き出すんです。

そのきっかけとして、

たとえば、「なんちゃってフラダンス」
ぜひ、ためしてみてくださいな。

 

※あなたは、どっち?爆  笑

 

 

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というわけで、ようこそ、宇宙の反逆者ではないみなさん。

まあ、そこまでやれる度胸があるなら、ちまちまと、
自己否定なんかしていないとは思いますが!


さて。ここまで書いてきたことを、ざっくりまとめると、

・私たちは、宇宙・地球からみとめられた存在。
(みとめられていないなら、そもそも存在していない)

 まず、そこを素直にみとめる。
(それでも否定するなら、宇宙の反逆者コースを選択!)

・よって、いわゆる「自己否定」と呼ばれるものも、
「みとめられる」ものの範疇にある。認知=肯定。

・よって、「自己否定」を否定する必要もない。

・さらに、我々は、ものごとの全容を完全に把握する
 能力をもっていない。完全なる理解は不可能なのだ。

・よって、「自己否定」は、思いこみ・かんちがい・
 妄想・錯覚のいずれかである。

・楽しいならつづけてもいいが、そうではないなら、
 終わらせるほうが、人生が楽しくなる。

・終わらせるのに、否定は必要ない。

・ポイントは、「正しい・まちがい」の基準を使わない
 こと。必要なのは、そのかんちがいを解くこと。

・そのあらたな認識も、ある意味あらたなかんちがい
 ではあるが、ちがうのは、その自分を楽しめること。

・自分を楽しめれば、人生を楽しめるようになる。
 もはや、「自己否定」は、する必要がなくなる。

あら、たったこれだけに、原稿用紙30枚近くを
使っていたのか。まっ、いいけど。


後半にも書きましたが、私たちを苦しめる根源は、

実は、世のなかには「正しい」「まちがい」という概念
があることではないかと、あらためて感じています。

より正確に言うと、ものごとには「正しい」「まちがい」
があるという(ある意味の)「まちがい」を、
信じこんでいることが、問題の発端なのでは…と。


私は、すべてのことは、「好き・きらい」「心地よい・
心地よくない」で決めていいのではないかと思っています。

それは、言い換えると、「自分の感覚を主軸とする」
ことではないかと思っています。


ここでのポイントは、「決める」のは、自分自身の生きかた・
ありかたであって、他人に適用はできないことです。

あなたの心地よさは、あなたのものではありますが、
他者に強要することはできない、ということです。

これ、当たり前のことと思うでしょうが、

「正しい」「まちがい」という基準をもちこむと、
平気で、これをやっちゃうのです。

「これが正しい」「それはまちがってる」というふうにね。
そのジャッジがあるから、「肯定」「否定」も生まれるのです。

そのジャッジが消失したら(採用されなければ)、
「正しい」「まちがい」という尺度も不要になるのです。

 


すると、すべては、自分の判断・選択・決意になります。
ひとのせいにして、逃げることはできなくなります。

それは、ときとして、ちょっと勇気が必要となります。

批判されないか、ばかにされないか、見捨てられないか、
そんな不安があがってくるひともいるでしょう。


大切なのは、そんな自分と向き合うことです。

そこにも否定は必要なくて、
「ああ、こわがっている自分がいるんだな」

そう気づき、みとめてやるだけでいいのです。


脳は、新しいこと、知らないことが苦手ですから、
やったことのないことには、ビビリます。

「自分で決めるなんて…怖くてできない」
そう思うことが、自分をおとしめ、矮小化させます。

そんな怖ろしいことを引き受けるくらいなら、

「自分はできない・無理・だめなやつ」と決めて、
自分のなかに閉じこもっていたほうがいい。

それは、心地よくもないし、かっこも悪いけど、
ひとまえに自分をさらすよりは、よっぽどまし

…というふうに、全然合理的ではない考えも、

勝手に「自分には、これしかできない」と、
決めつけてしまうのも、脳のせいなのです。


あ、また、脳のワルグチになってしまうので、この
くらいにしておきます。(原稿用紙4枚超えたし)

自己否定と脳の関係については、ここまでで
おそらく理解してもらえたと思うので、

もう、「自己否定」を否定する必要がないことも、
おわかりいただけたと思います。(ワカル?)


次回からは、次のクールに移りますね。

そんな自分と、どうやってつきあっていくか。
アタマの理解だけでなく、具体的な方法に
ついても、踏みこんで語りたいと思います。

にゃんこも、執筆に飽きて、
飛び跳ねだしたところですしね♪

  

  

 「行くぞー!!」ダッシュダッシュダッシュ

 

 

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メルマガ第8018号(2026.1.11発行)

 

実は、今朝のメルマガ(第8108号)で、
この連載のテーマである、「自己否定」について、
キモの部分を書いてしまったような気がします。

それは、このメルマガを書きはじめたときから、
ずーっと、書きつづけてきたことでもあり、

同時に、私自身の生きかたともつながっていて、
私自身の気づきのプロセスということもできます。


イケてない人生を、ずっと否定的に見ていました。
他人と比べて、ジャッジもしまくっていました。

(「人目を気にする能力欠損症」ではあるのですが、
 望む結果が出ないことに、くやしさやいきどおり
 を感じるとき、そこには他者の存在がありました)

ただ、否定もジャッジも、生きていればこそ
感じられるもの。(ですよね?)

その自分を否定するって、本当に本末転倒なのです。
まさに、主体としての自分を置き去りにしていたのです。


どんな自分であっても、いま、生きている。
それは、それこそ否定しようのない事実です。

だから、まずは、いったん、
そこをみとめ、受け入れる必要があるのです。

ただ、「生きている」「存在している」
その自分を、まるごと受け止めたとき、

天に、宇宙に、地球に、
「生かされている」ことに気づきます。

だって、「オメエみたいなの、いらん」って、
地球が思ったら、その瞬間に、大気圏外に、
放り出されていたって、おかしくないですからね。

大気圏外に放り出されることもなく、
人工衛星が墜落してきてあたることもなく、

とりわけ、この自然災害の多い日本で、
今日まで生きていることは奇跡だと思いませんか?


あなたは、ゆるされて生きているのです。

自分を否定していてさえ、生きつづける
ことを、みとめられているのです。

それほど貴重な自分を、否定するのって、

言語道断。厚顔無知。傲慢至極。
あなた、何様? ってな感じでしょうか。

宇宙(天・地球)が、みとめているものを
みとめないと言うのですからね!

もう、いっそのこと、とことん自覚して、
「ワタシは宇宙の反逆者である!」くらいにi、
ヒラキ直ったほうが、いっそすがすがしいです。


そして、この「自覚」が、とても大切なのです。

どんな自分を生きるのか。生きたいのか。

否定していきたいなら、それでもいいのです。
あなたが主体的にそう思うのであるならね。

でも、生きたいかたちがあるなら、もっと
しっかり、それを自覚してみるのです。

とっとと、望む自分に向けて、動きだすのです。

そのとき、勝手に、「自己否定」なんか、
てばなしているはずです。

本気で、全力で、自分を生きようとするとき、
自己否定しているひまはないはずですから♪


それが、「自分を生きる」ということ。
「自分を主体におく」ということ。

しのごの言わず、トライしてみませんか?
あなたの、あたらしい地平がひらかれます!

 

  

 「行っけー!!」ダッシュダッシュダッシュ

 

 

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全目次

 

8104日前に、メルマガ「今日のフォーカスチェンジ」を

書きはじめたとき、私は、「フォーカス」というものの

奥深さを、充分にはわかっていなかったように思います。

それは、メルマガでは耳タコ状態で書いている、

「ひとは、その瞬間瞬間には、ひとつのことしか

 フォーカスできない」ということです。

要は、空を見ているときは空しか見えない、ということ

です。地面を見たいと思ったら、空へのフォーカスを

はずして、目線を落とす必要があります。
 

すると、地面は見えるようになりますが、今度は

空が見えなくなります。これが、「フォーカス」です。
 


地面や空なら、なるほどと納得できますが、

こころの問題は、こころでとらえてしまうと、

他の気持ちをそこに入れることができません。

 

悲しみにひたると、悲しみしか感じられないのです。

苦しみを感じると、苦しみ以外感じられなくなるのです。

そして、これが、「自己否定」だと、さらにややこしい

ことになります。「自己否定」にフォーカスすると、

「自己否定」しか見えなくなるのです。



でも、人生を生きてきて、一度も「自己否定」以外の

感情を体験しなかったひとは存在しません。そんなこと

では、さすがに生き延びることはできなかったでしょうから。

また、いまこの瞬間、「自己否定」の気持ちがあると

しても、一日生きていくうえで、否定的ではないできごと

が、まったく起きないというひとも、存在しません。

 

そう言えば、最近こんな歌をつくりました。

(正確には、私は作詞しただけで、

 曲はAIに頼んじゃいましたが…)

 

 

 思い出してみて

      作詞 かめおかゆみこ
      作曲 AI
 
思い出してみて

自分のことが
きらいになりそうなとき

前にすすむのが
こわくなったとき

 

自分を責めるのをやめて
深呼吸してみて

自分の心と向き合って
思い出してみて
あなたがいままでできたこと

ちいさなことでいいの
ちいさなことが大切

朝起きたこと
おはようと言ったこと

ごはんを食べたこと
誰かと話したこと

どこかに出かけたこと
何かにトライしたこと

ひとつひとつ
ていねいに思い出して

あなたが歩いた一歩は
未来の道につながっている

あなたが見つめたその先に
未来のあなたが待っている

だから忘れないで

あなたにできたこと
あなたができること

これからもきっとある

そんな自分にOKをあげて
そんな自分にエールを贈って

今日のあなたを生きてみて



いかがでしょうか?

「自己否定」にフォーカスしていると、この

「ちいさな、できたこと(できること)」を忘れてしま

うのです。忘れて、何もないように感じてしまうのです。

でも、それは、昨日も書いたように、思いこみです。

かんちがいです。妄想です。錯覚です。

信じる必要はないのです。

そんな気持ちになったときには、ためしにこの歌でも

歌ってみてください。まあ、歌でなくてもいいのですが、

からだを使ってみてください、ということです。

「自己否定」という、こころの問題は、こころでは解決

しません。なぜなら、いまこの瞬間は、「自己否定」で

いっぱいに満たされて、それ以外のことが見えなくなっ

ていますからね。

だから、こころのことはほっといて、からだを使うんです。

ふさいで、こもりがちになっているなら、この歌の女の子

みたいに、道を歩いてみるのもいいでしょう。

見晴らしのいいところだと、なおいいですね。世界は遠く

までつづいていることを思い出せますから。たまには、

広い空を見上げたり、地平線や水平線をながめて、深呼吸

してみてください。文字通り「視点」が変わりますよ。

考えこんで固まってしまうのは、こころ(アタマ)。
世界とつながり直すのは、からだの仕事です。
「フォーカス」を変えたいときも、からだを使うんです。
これは、鉄則です。ぜひためしてみてください。



明日・あさって(1月9-10日)は、お芝居の稽古で

ちょっと出かけていますので、連載をお休みします。

つづきは、しあさって、11日をお楽しみに♪
 

  

 

 

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この世のなかに、何か、「正しい」ものと

「まちがっている」ものがある、という考えかたが、

ひとを苦しめるのだと、私は思っています。

だって、それが何であれ、絶対的に決定的に未来永劫

普遍的に必ず、「正しい」「まちがっている」と、

誰が断言できるのでしょう?

どんなことだって、時代が変われば、地域が変われば、

環境が変われば、法律が変われば、条件が変われば、

新事実が判明すれば、もっと言えば気が変われば(笑)、

評価は変わってしまうのです。

たとえば、「1+1=2」だって、たまたま10進法

だからこのこたえになるのであって、日常生活の

ほとんどが10進法で対応できるから通用しているだけ

で、絶対的に正しいこたえではないのです。
 


もしも、この考えに同意できるのであれば、

「自己否定」をするひとが信じこんでいる、その

「自己否定」もまた、信憑性のないものになります。

ですよね? そのひとは、何らかの「理由」「根拠」を

もって、自分のことを否定的に見ているわけです。

ところが、またまた辛口になってしまいますが、その「理由」
「根拠」って、それこそ本当に「正しい」のでしょうか?

 


私たちは、いま、この瞬間に起きていることを完全に

理解することはできません。

できることは、いま、たまたま認知(知覚)できている

(と思えている)ことを、受け止めることだけです。

言うまでもなく、

見る角度が変われば、見えるかたちは変わるのです。

前から見て、うしろを確認することはできないのです。

 

仮に、鏡を使って両方から見たとしても、その内がわは

見えません。そして、内がわを見ているあいだは、

外がわを見ることはできません。

順番に見ればいいという考えかたもありますが、

「いま」はつねに一瞬しかありません。

比べてみたところで、それは「さっきの前から見たかたち」

の記録と、「いまうしろから見たかたち」の記録です。

さらには、条件・環境が変化すると、まったく別もの

に見えてしまうものだってあります。

 

水は液体ですが、沸騰すると蒸気になって気体化します。

逆に冷却すると、氷になって固体化します。

では、これらの成分は別ものなのでしょうか?
 


無意味な理屈を並べていると思うかもしれませんが、

 

「自己否定」をしているひとたちに、

「それは絶対的なものではない」、

もっといえば、「絶対的と思っているひとにとってだけ、

絶対的に見えるものにすぎない」ということを、

知ってもらいたいのです。
 


私は専門家ではありませんが、「自己否定」をふくめ、

さまざまなこころの体験を重ねるなかで、

いろいろと自分の考えを深めてきました。

 

そして、ついにいたった結論がこれです。

 

 

「人生は、思いこみとかんちがいと妄想と錯覚でできている」
少なくとも、どんな幸せもどんな不幸も、すべてこのどれか

またはいくつか(ときにすべて)に該当するのです。

そして、そう認識するとき、「正しさ」も「まちがい」も、

存在意味をうしなうのです。
 

なぜなら、これらすべては、それをかかえている本人の

アタマのなかにしか、存在しないからです。

それを支える条件が変われば、消えてしまうものだからです。

それが、脳の思いこみかかんちがいか妄想か錯覚だからこそ、

どれだけ「自己否定」しても、からだは、いのちは、

存在することをやめないのです。

脳のかんちがいに、主導権を渡していたいですか?
脳の思いこみに、妄想に、錯覚に…(以下同文)
本気でその問いを、自分に投げかけてみてほしいのです。

自分を否定するためにもちいている、その理屈は、本当に

正しいのですか? 絶対的に正しいと断言できる、根拠を、

もちあわせていると言えるのですか?

言えるとするならば、そのひとは、自信満々の、意思の強い

ひとです。そして、自信満々で意志の強いひとは、たぶん、

自分のことを否定はしていませんよね。(笑)

と、またまたパラドックスにおちいりそうな展開になりましたが、

多くの「自己否定」にとらわれているひとは、

こんな単純で簡単な論理を、かたくなに受け入れようとしません。

まるで、「自己否定」が大好きで、

絶対にてばなすまいとしているようにさえ見えます。

 

いえ、大好きなら大好きでかまわないんですよ。

昨日も書いたように、「自己否定」って、

けっこうオイシイところがありますからね。

でも、大好きなひとに「きらい」って言ったら、

関係はうまくいきませんよね? 

本当に「自己否定」が好きなら、ちゃんと「好き」と

伝えたほうがいいんです。

そして、残念ながら好きではないと気づいたら、

いさぎよくサヨナラするんです。

いつまでも本音をかくして、好きなふりをしてはいけません。

それでは詐欺師になってしまいます。


昔、アル中でうつ病で、生活保護を受けて暮らしている

友人がいました。

彼は、アルコールともうつ病とも、上手に共存していました。

「さびしさ」とも仲が良く、ときどき、電話がきて、

飲みにきてほしいと誘われました。

行けないことのほうが多かったですけれど…。

彼は、自分のそのすべてを肯定していました。

大量の本を読み、大量の俳句を暗記しそらんじ、

おおきなからだでちいさなオカリナを、

とてもきれいに鳴らしました。

それは、宮沢賢治の言う「デクノボウ」に近い生きかた

だったかもしれません。享年42歳。自然死でした。

彼の死を悼んで、200人を超すひとが集まりました…。
 

どんな人生でも、否定せずに

そうして抱きしめて生きていくことができれば、

ひとは、幸せに生きることができるのではないのかなあ。

 

あなたは、どう思いますか? 

 

  

 

 

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あ~、まずいタイトルをつけてしまった。「自己否定」
を自認するひとたちから、闇討ちに遭いそう。(嘘です…)

でも、カウンセラーでもセラピストでもないワタシが、 

こうして「自己否定」について堂々と書けるのは、 

ワタシ自身が、「自己否定」を体験してきたからです。

ただし、私のバアイは、後発組。

ええ、先発組と後発組があるんですよ。

ときどき、生まれたときから、自己否定にかたむき

やすい 性格のひとはいますが、基本は、

幼少時の体験から身に着けた先発組と、多少年齢が

いってから身に着けた後発組。どちらかです。

私の場合は、育った環境は問題なかったのですが、

ある年齢以降の、他者との人間関係の齟齬に加えて、

そもそもの「過集中」の性質が加担して、

ドツボに叩き落とされた、後発組です。

でも、「自己否定」しているときって、表面的には

しんどいのですが、深いところをさぐっていくと、

けっこうキモチイイのです。

何しろ、ほぼほぼ被害者・犠牲者になれます。

いわゆる「かわいそうなひと」になれるんです。

 

この立場に身を置くと、楽ちんです。

モノゴトの矢面に立たないですみます。

つらい境遇を誰かのせいにできます。

自分から行動を起こさなくても、ゆるされます。

20代~30代のころ、私は、自分の未来をみうしなって、

ただただ、生活のためにだけはたらくという生きかたを

していた時期があります。

当時、「自己否定」なんてことばがあったかどうか

わかりませんが、生きているのが苦しかったです。

息をしているだけで、その日その日の全エネルギーを

使い果たし、夜は横になって、泣いてばかりいました。

もうね、

「こんなに苦しい孤独な思いをしているのは、きっと私だけ」

「私の気持ちは絶対に誰にもわかってもらえない」という、

「特別感」満載。自分で自分をえこひいきしている状態です。

オーディション不要で、

ぶっちぎり、「悲劇の主人公」確定モードです。

いま、当時の自分と出会えるなら、肩をたたいて、

「もしもし、それはかんちがい」と言ってあげられますが、

当時は、意識のうえでは完璧に、

「かわいそうなワタシ」にひたっていましたからね~。

「そんなことない。本当につらいんだ」

って言いたくなるひともいると思いますが、

ひとの深層心理って、ほんと、フクザツなんです。

その「悲劇の主人公」「特別感」が、

「いま自分が生きている実感」になってたりするのです。

それもこれも、脳がおばかさんなせいなのですが、

そのあたりは昨日さんざん書いたので、省略します。

もう10年以上前になりますが、「自己否定」を自認する

ひとと話をしていて、「かめおかさんには私の気持ちは

わからない!」って言われたことがあります。

まあ、エスパーではありませんから、実際わかりません。

でも、そのひとが私の気持ちがわかるかといったら、

やっぱりわかりません。だったら、おあいこじゃないですか。

相手の気持ちもわからないのに、「自分の気持ちは

わかってもらえるべきだ」と思っている(としか思えない)

としたら、それって、やっぱり「特別感」だと思うんですよね。

ちょっときつい書きかたに思われたら、ごめんなさいです。

けっして、否定しているわけでも、

批判しているわけでもないんです。

 

「自己否定」の裏がわには、そんな感情が

かくれているかもしれない…と思ってみてはどうですか? 

というお話をしているだけなんです。

そして、脳のおばかさんのせいで、

「自己否定」という、ひとつのフォーカスにとらわれて、

ほかの側面からの見かたができなくなっていることに、

気づいてもらえたら…と思っているんです。

そもそも、「自己否定」が存在しているのは、アタマの

なかだけで、そう言っているご自身のからだは、

おそらくちゃんと機能しているはずなんです。

「自己否定」しているからといって、心臓が血液を

送り出すのをサボったり、足がやる気をなくして

動かなくなったり…とかはしていないはずです。

ちゃんと粛々と、動きつづけているはずですよね。

 

(こころのはたらきが、からだのはたらきに作用する

 というケースはあるのですが、それは、今回の

 テーマとは少しずれるので、ここではふれません)


もちろん、病気のせいで、「自己否定」的になっている

ケースもあるかと思いますが、

それでもそう思っているのは、アタマだけです。

 

からだは、たとえ病気であっても、あなたを生かすために、

日々休みなく、はたらきつづけてくれているはずですから。

そのからだに、感謝するだけでも、本当なら

「自己否定」感はうすれるはずなのですが、

「自己否定」にどっぷりひたっている間は、

そんな感謝も忘れています。私自身が、そうでしたからね。

私が、「自己否定」から抜け出せたのは、そんな

かんちがいのフォーカスに気づけたからです。

 

私たちが、アタマ優位になりすぎて、生きているからだの

存在を忘れ、おばかさんな脳の暴走をゆるしてしまったため

に、「自己否定」を肥大化させたことが、わかったからです。

と、またまたこれだけで、原稿用紙5枚に達してしまいました。

書籍化のときには、推敲して削らなきゃいけないでしょうが、

とりあえずゴールまでは、

思いつくままに、書きつづっていくことにします。 

  

  

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今日、初めてこの連載と出会ったかたは、下記の「全目次」

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全目次

 

いつも思っていることですが、「自己否定」の強いひとは、

とても意思が固く、自信満々なひとが多いです。

 

え? 逆だろうって思いましたか?

でもね。「自己否定」が強いと思っているひとにたいして、

「あなたは意思が固いですね」とか「自信満々ですね」とか

言うと、ものすごくはげしく否定してきます。

 

どれだけ理由を言っても、受け入れてくれません。

「絶対にそんなことはないです」と、きっぱり断言します。

これって、すごい固い意思のもちぬしでなくては、

できないことですよ。

普通、「絶対に」なんて、怖くてなかなか言えません。

 

いろいろ理由を言われると、けっこう説得されちゃったり

するものですが、そこんところが揺るがないんです。

なんて書くと、「馬鹿にしてるんですか?」って

怒られちゃうかもしれないのですが、

私は、感情というのは、「こころが動くこと」の総称である

と考えています。

 

自己肯定も自己否定も、その動くベクトルの方向がちがう

だけなんです。「強い」というところでは共通してるんです。

私は、いつも脳にたいして、ひどい言いかたをしちゃってます。

「ビビリでヘタレ」とか、「ちょっとおばかさん」とか、

「ナマケモノ」とか、「新しいことや知らないことが苦手」

とか、「すぐに前のパターンを使いまわす横着者」とかとか…。

まあ、24時間365日、休むヒマなくはたらきつづけているので、

少しは横着したいとか、ナマケたいとか、パターンの使いまわし

で楽したいとか、気持ちはわからなくもないですが、

「自己否定」を採用すると、これがさらに加速しちゃうのです。

「自分はだめだ」という思考を使いまわします。「自分は

みとめられていない」「能力がない」などの考えに固執します。

当然ながら、その結果として、新しいことへのチャレンジなんて、

もってのほかと決めつけます。そんな自分をさらに、

「だから自分はだめなんだ」と否定して…(以下、エンドレス)。

そして、ひとによっては、それを何年何十年と使いまわします。

ときどき、洗濯機や冷蔵庫を20年以上、使いつづけているひと

がいますが、そのレベルです。

しかも洗濯機や冷蔵庫は、経年劣化しますが、

思考は劣化するどころか、ますます強化されます。

この文章を読んで、思い当たるふしのあるかたは、よかったら、

ちょっとためしてみてほしいワークがあります。

 

自己否定をするとき、からだは、自然に固くなります。

「自分はだめだ。ほぁ~ん」と、ちからが抜けるひとは

いないということです。

その、固い状態を思い出してください。

息を浅くし、頭を落とし、肩をすぼめ、背中を丸くし、

胸を詰めてください。その状態で、

「自分はだめなやつだ」と声に出してみてください。

おそらく、いとも簡単にできるのではないでしょうか。

それでは、はじめます。まず背筋を伸ばしてください。

胸をひらいて、肩をまっすぐな位置にもどし、

頭をあげてください。

 

そこで深呼吸をします。息が出しづらいひとは、

いったんとことん吐ききってからゆるめると、

自然に吸えます。

つづいて、両手をひらきます。

座っているひとは立ち上がります。

両足を肩幅にひらきます。

このとき、胸がすぼんだり、背中が丸まったり

しないように、気をつけてください。

 

顔を上げます。この状態で、

「自分はだめなやつだ」と言ってみてください。
 

どうですか? さっきと同じ口調で言えましたか? 

気分はどうですか? 

 

そのまま、足踏みをしてください。

そのいきおいで、両手をおおきく振って、

スキップしてみましょう。

体力のあるひとは、バンザイの姿勢で、

ジャンプしてみましょう。

 

その状態で、もう一度言ってみてください。

「自分はだめなやつだ!」

おそらく、多くのかたが、違和感を覚えるでしょう。

声にちからがなくなり、「あれ? なんか変」という

気分になるでしょう。

あれだけ強固だった「自己否定」の気持ちが、その瞬間

だけでも、うすらいでいることに気づくはずです。

実は、今日の記事で、前半さんざん、「強い意思だ」

とか「自信満々」とか書いてきたのは、脳のしわざなんです。
 

ビビリでヘタレでチョットオバカサンでナマケモノで新シイ

コトガ苦手デパターンヲ使イマワスことの好きな脳が、

あなたをだまして、まきぞえにしていただけなんです。
ある意味、詐欺です。恐るべし、脳のだましのテクニック!

と、調子に乗って書いていたら、原稿用紙4枚を超えて

しまいました。さくっと電子書籍にしようと思っているのに、

トンデモナク長くなる…。

 

とりあえず今日はこのくらいにしておきます。

でも、もしも、脳のだましに引っかかったままでいたく

なかったら、上記のワーク、ときどきやってみてください。

あなた自身を変える必要はありません。

ただ、姿勢や動きを、一瞬変えてみるだけです。

やる気なんか1ミリもなくていいです。

単に、稼働可能な手足を、動かしているだけなので、

新しいことは何もしていません。

 

…と、脳には伝えておきましょう。
 

  

 

 

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全目次

 

電子書籍化しようと思って書きはじめたこの連載。
にもかかわらず、章立ても決めていないし、
目次もつくっていません。ほんとにたどりつけるのか?!

で、昨日書いた原稿を読み返して思ったのですが、
いま、自己否定している状態のひとが読むと、
「ああ、自分のこと、否定されてる」って、
思っちゃうかもしれないなあ、と気がつきました。

自己否定するタイプのひとたちって、幼少時の
環境が影響しているケースが多いと思うんです。

この理屈もよくわかります。幼少時は、
世界が、親とかごく少数の人間で構成されていて、
それが、絶対的なものだと思いこんでしまいます。

たとえば、おとなになって、誰かに否定的なことを
言われたとしても、それは、そのひとが言っただけ

のこと。そんなこと思わないひともたくさんいる

…ということがわかりますが、

 

幼少時、たとえば親から否定的な対応をされると、

もはや「世界」が自分を否定している感覚。

もっと言えば、「神」から否定されている感覚に

なっちゃうんですよね。

さらに、幼少時は、言語が発達していません。

言語が発達していない時代って、

何で記憶するかというと、からだで記憶するんです。

だから、おとなのように、ことばで分析できないんです。

おとなになって、たとえば一歩踏み出すのが怖いと

思っても、なぜそう思うのか理由がわからない。

それは、からだの感覚として深いところに残っているので、

アタマの理屈では対応できないんです。

ただ、子ども時代にそういうおとなに出会わずに済んだ

からと言って、そのまま幸せに生きられるかどうかは、

また別です。

 

私は、親との関係はめちゃくちゃ良好だったのですが、

そのぶん(?)、社会に出たあとの反動がおおきくて、

思いきり、「自己否定」モードにおちいりました。

まあ、ワタシの場合は、性格(性質)的なものも

おおきかったのですが。

 

というのも、子ども時代、妄想レベルの空想壁があって、

ほかのひとたちと感覚が合わなくて、ずっと違和感を

もっていました。

中学校で演劇と出会わなかったら、どうなっていたか

わかりません。

つまり、ひとは生きていれば、人生のどこかで一度は、

ドツボにはまる時代がある、ということです。

だから、原因さがしをしすぎるのも、あまり意味はない

かも…と思っているんです。(あくまでも私の感覚で、

押しつけるつもりはありませんよ)

私は、(この10年くらいで自覚したのですが)

「過集中」という性質をもっていて、いったん

ひとつのことに集中すると、

めちゃくちゃ深く入りこんでしまうんです。

 

1日くらいテンションが下がらないのは当たり前。

この年になっても(いくつ?)(笑)いまだに、

集中すると徹夜しても平気…みたいな感覚があります。

それが「フツー」だと思って暮らしていたので、

ほかのひととちがって当たり前なのですが、

そのことに、まったく気がついていなかったので、

ひととの関係で、なぜモンダイが起きるのか、

まるっきりわかっていなかったのです。

と、今日は脱線したまま、自分語りをしてしまいましたが、

書きたかったことは、ひとは、人生のなかでどこかで必ず

(たぶん)、「自己否定」を体験する。

体験するのがスタンダード。…と、とらえてみると、

そこまで落ちこまなくても済むのじゃないか…

ということなのでした。

なので、いまは、「自己否定」も「自己肯定」も

なんぼのもんじゃい!…って生きかたをしてますが、

私のなかにも「自己否定」的な感覚はあった、

あったことを踏まえて書いている、ということを

お伝えしたかったんです。

 

ダカラ、マッタク、キモチガワカラナイワケジャナイヨ…。(汗)
  

  

 

 

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