かめおかゆみこ です。
今日、初めてこの連載と出会ったかたは、下記の「全目次」
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あ~、まずいタイトルをつけてしまった。「自己否定」
を自認するひとたちから、闇討ちに遭いそう。(嘘です…)
でも、カウンセラーでもセラピストでもないワタシが、
こうして「自己否定」について堂々と書けるのは、
ワタシ自身が、「自己否定」を体験してきたからです。
ただし、私のバアイは、後発組。
ええ、先発組と後発組があるんですよ。
ときどき、生まれたときから、自己否定にかたむき
やすい 性格のひとはいますが、基本は、
幼少時の体験から身に着けた先発組と、多少年齢が
いってから身に着けた後発組。どちらかです。
私の場合は、育った環境は問題なかったのですが、
ある年齢以降の、他者との人間関係の齟齬に加えて、
そもそもの「過集中」の性質が加担して、
ドツボに叩き落とされた、後発組です。
でも、「自己否定」しているときって、表面的には
しんどいのですが、深いところをさぐっていくと、
けっこうキモチイイのです。
何しろ、ほぼほぼ被害者・犠牲者になれます。
いわゆる「かわいそうなひと」になれるんです。
この立場に身を置くと、楽ちんです。
モノゴトの矢面に立たないですみます。
つらい境遇を誰かのせいにできます。
自分から行動を起こさなくても、ゆるされます。
20代~30代のころ、私は、自分の未来をみうしなって、
ただただ、生活のためにだけはたらくという生きかたを
していた時期があります。
当時、「自己否定」なんてことばがあったかどうか
わかりませんが、生きているのが苦しかったです。
息をしているだけで、その日その日の全エネルギーを
使い果たし、夜は横になって、泣いてばかりいました。
もうね、
「こんなに苦しい孤独な思いをしているのは、きっと私だけ」
「私の気持ちは絶対に誰にもわかってもらえない」という、
「特別感」満載。自分で自分をえこひいきしている状態です。
オーディション不要で、
ぶっちぎり、「悲劇の主人公」確定モードです。
いま、当時の自分と出会えるなら、肩をたたいて、
「もしもし、それはかんちがい」と言ってあげられますが、
当時は、意識のうえでは完璧に、
「かわいそうなワタシ」にひたっていましたからね~。
「そんなことない。本当につらいんだ」
って言いたくなるひともいると思いますが、
ひとの深層心理って、ほんと、フクザツなんです。
その「悲劇の主人公」「特別感」が、
「いま自分が生きている実感」になってたりするのです。
それもこれも、脳がおばかさんなせいなのですが、
そのあたりは昨日さんざん書いたので、省略します。
もう10年以上前になりますが、「自己否定」を自認する
ひとと話をしていて、「かめおかさんには私の気持ちは
わからない!」って言われたことがあります。
まあ、エスパーではありませんから、実際わかりません。
でも、そのひとが私の気持ちがわかるかといったら、
やっぱりわかりません。だったら、おあいこじゃないですか。
相手の気持ちもわからないのに、「自分の気持ちは
わかってもらえるべきだ」と思っている(としか思えない)
としたら、それって、やっぱり「特別感」だと思うんですよね。
ちょっときつい書きかたに思われたら、ごめんなさいです。
けっして、否定しているわけでも、
批判しているわけでもないんです。
「自己否定」の裏がわには、そんな感情が
かくれているかもしれない…と思ってみてはどうですか?
というお話をしているだけなんです。
そして、脳のおばかさんのせいで、
「自己否定」という、ひとつのフォーカスにとらわれて、
ほかの側面からの見かたができなくなっていることに、
気づいてもらえたら…と思っているんです。
そもそも、「自己否定」が存在しているのは、アタマの
なかだけで、そう言っているご自身のからだは、
おそらくちゃんと機能しているはずなんです。
「自己否定」しているからといって、心臓が血液を
送り出すのをサボったり、足がやる気をなくして
動かなくなったり…とかはしていないはずです。
ちゃんと粛々と、動きつづけているはずですよね。
(こころのはたらきが、からだのはたらきに作用する
というケースはあるのですが、それは、今回の
テーマとは少しずれるので、ここではふれません)
もちろん、病気のせいで、「自己否定」的になっている
ケースもあるかと思いますが、
それでもそう思っているのは、アタマだけです。
からだは、たとえ病気であっても、あなたを生かすために、
日々休みなく、はたらきつづけてくれているはずですから。
そのからだに、感謝するだけでも、本当なら
「自己否定」感はうすれるはずなのですが、
「自己否定」にどっぷりひたっている間は、
そんな感謝も忘れています。私自身が、そうでしたからね。
私が、「自己否定」から抜け出せたのは、そんな
かんちがいのフォーカスに気づけたからです。
私たちが、アタマ優位になりすぎて、生きているからだの
存在を忘れ、おばかさんな脳の暴走をゆるしてしまったため
に、「自己否定」を肥大化させたことが、わかったからです。
と、またまたこれだけで、原稿用紙5枚に達してしまいました。
書籍化のときには、推敲して削らなきゃいけないでしょうが、
とりあえずゴールまでは、
思いつくままに、書きつづっていくことにします。










