まずはこれ↓をご覧ください!。
まるで外国の教会の燭台のようですね!。
でも違います。これはれっきとした日本国、小生の田舎岩手県北内陸部で現代でも実際にお盆で行われている風習で「48灯篭」と言います。
青森三八/岩手県北内陸部にお住まい、もしくは出身の方々にはなじみ深いお盆の光景でしょう。
いわばお盆の迎え火の一種といっても良いと思いますが、これを行うのは故人が亡くなって初めてのお盆、新盆ですが、これを入れて3年間のみ行われまして、4年目からはもう行いません。
いわば新米仏さんの故人が初めての帰宅で迷わないように、目印として焚く、と思われているようですが、どうもこの風習には結構、深いいわれがあるようで、以前調べて掲載した記事↓に詳しく書いてありますので、興味のある方は読んでみてください。
https://ameblo.jp/kamesansgameblo/entry-12468517365.html?frm=theme
小生の田舎ではこれを自宅で行いますが、菩提寺の宗派によっては新盆のみ1回だけ、それもお寺様で行うということもあるそうです。
ですから、ご家族でもご親族の方でも、お知り合いやご近所さまの中でどなたかが新仏様になられないと、お目にかかることはない風習です。
さらに、この「48灯篭」、略して「しじゅうはっと」が行われることがわかると、開始時間を関係の方々やご近所さんに告知して、皆さんが集まったところでロウソクに一人一人が火を点けていきます。
48本+1本=49本全てに火が灯ったところで、個人の話や世間話やら最近の近況やらをみんなで語り合い、ロウソクが一本また一本と燃え尽きていくと、いつの間にか会話が途切れ、消えていくロウソクに皆さんの目が注がれ待てい来ます。
やがて、最後の一本が消えてしまうとそこで会は御開き、そのまま飲み会へと流れたり、次の「48灯篭」のお宅へ向かったりして三々五々、散会となっていきます。
この風習をお盆の14/15/16日、3日間続けるのです。
3日連続で参加される方も居られますし、1日だけの参加でも良しだそうです。
この「燭台?」本体は、この時期のみ地元の特定のお店でしか扱いは無かったそうですが、今では地元スーパーのジョイスでも扱うようになったそうです。
各戸各人がロウソクの火が消えた後の始末を簡便にするために、回を重ねるたびに工夫が進化していくのをみるのも面白いです。
従妹宅では48本ロウソクを、あらかじめ釘が打たれた腕木に立てる前に下にキュウリのスライスを敷いて溶けた蝋の清掃を安易にできるようにしたり、蝋燭も短い時間で燃え尽きるものに変えたりして、今の時代に合わせた時短モードで灯したりしていました。
毎日48+1本のロウソクを消費ますから、49×3日=144本そろえておかないといけないので、買い忘れて足りなかったりするとえらいことになります。
また、この時期はスーパーなり仏具店ではロウソクの在庫を切らさないようにするのが大変なのではと。
勿論、宗派宗旨で「48灯篭」を行わないお宅もあります。
普段はほとんどのお宅が、松の根を苧殻の代わりに焚いて迎え火にしますので、スーパーにも松の根が並んでしたりします。
ただ、小生の田舎本家では迎え火/送り火は焚かず、13日に菩提寺へ出向いて自家のお墓で仏さまをお迎えし、主人が故人さま方の魂を肩に乗せて連れて帰ります。
16日は夜街中を練り歩く精霊流しの列に加わって御詠歌や念仏を唱えつつ馬淵川の一戸中橋袂の精霊流し場へ行き、川面を流れていく灯篭を見送って送り火の代わりとしていました。
商家ですし、さらに造り酒屋でしたからお盆はかき入れ時で大変忙しかったでしょうから、その名残だと思います。
一戸はこのお盆の時期と月末の御祭り※一戸まつり、が終わると夏が終わり、一気に秋の気配が漂ってきます。
日本全国、お盆はその地その家でそれこそ、千差万別の風習があると思います。ですが、小生の田舎のように「48灯篭」という西洋の教会の燭台のような「迎え火」を焚くところはまずないと思います。
前出の記事にも書きましたが、ひょっとしたら青森戸来町に伝わるキリスト/イスキリ様の墓に関係していたりしてね。
失われた10氏族の末裔が日本にまで到達していたとも言われますから。
一戸のある岩手県北から青森三八地域は近年、世界遺産推奨遺産にも選ばれた御所野縄文住居遺跡もあり、古代から交通の結節点としていろいろな文化が入ってきていてもおかしくはないでしょうしね。