最近ニュースで悲惨な話題を目にします。
家族の支配、服従の果てにおこった悲劇。そういう力関係はいかにできあがったものなのか、不思議に思います。
今後の情報が気になります。
家族の声が当たり前に聞こえてくるこもまた、「当たり前」ではないのもかもしれませんね。
いつ、誰がどのような状況に身をおくかわからない現代。生まれてから、人は「支配」と「服従」を繰り返して生きていることでしょう。
生まれてから、この世のルールを学び、学校での規則、善悪、規範というものを自然とまなび、行動規範として大人への階段を上ること。
しかし、その力関係をを圧縮した中に集団のストレスが芽生え、弱者への暴力へと転嫁していく、人の心の怖さ。
これまで、家長として、父親、祖父母が家に存在し、日本的家族制度が近年まで続いてきていたわけですが、それもまた「核家族化」という、近代的に見えて、実は、精神的支柱の崩壊を招いている結果として浮き彫りになっているのではないかとさえ思います。
家長のいうことは絶対で、日本的礼儀を徹底して教えられた時代には、
家族の力関係を学び、社会の仕組みを小さきときから学んでいたことが崩壊し、社会の流れを逆行するかのようにその仕組みに変化が生じているようです。
根本的には、日本全体の戦後体制の変化というべきか。
戦後、米国の傘のもと、防衛、文化、経済、政治、生活などあらゆる面で大国に追随して、寄りかかってきた日本。
しかし、古来よりの精神的支柱は、日本には受け継がれてきていることをないがしろにしての日本になりつつあるようです。
西欧化、近代化を是とする政策は、教育にも及び、学問にて、高度な知識は学ぶことはできても、自らその本質を見抜く力をどこかで放棄してきたのではないかと思うこともあります。
すべて、寄らば、大樹の陰。長いものに巻かれろ的な・・・。
主体的に自らと社会について、考え、行動し、生きてきた環境への誇りと歴史の認識を魂のより所として、アデンティテーを今こそ思い出すときではないだろうか。